今を生きる理由

 日頃何気なく生活している中で、私達は、仏教という宗教に囲まれている事に気付きます。近所にお寺さんはあるし、使っている言葉も実は仏教用語だった、なんていうことも意外と多いのです。

 それでは、仏教とは何でしょう?  仏教と言って先ず思い出されるのは、お葬式であったり法事だったり・・・・・。誰かが死んでからの事だけのような感覚をもたれる方が多いように感じられます。しかし、お釈迦様は、そのために仏教を開かれた訳ではないのです。むしろ今を生きている私達のために教えを説かれています。仏教とは、私達が仏(悟りを開いた者)になるための教えなのです。

 皆さんの周りを見渡すと、色んな人が沢山いませんか?十人十色とはよく言ったものだなぁ~、と感心するくらいです。お釈迦様は、すべての人が仏となれるように、その人に合った救いの道をお説きになりました。その数は八万四千の法門といい、すべての人が必ずどこかに当てはまる数限りない教えとなっています。

 その教えも、浄土宗を開かれた法然上人がお過ごしになられた、平安から鎌倉の激動の時代には、末法へと入っておりました。「末法」とは、仏となる教えの道が見つかりづらくなってしまう時期のことです。そのため、すべての人が平和に暮らせるための教えが、消え去ってしまったように思われました。その様な時代に、法然上人はすべての人が救われる教えにこだわり、求め続け、『阿弥陀仏の救いの教え』にたどり着かれました。

 それでは、『阿弥陀仏の救いの教え』とはどのような教なのでしょう?  仏教では六道りくどう輪廻りんねといい、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六つの世界で、生と死を繰り返していると考えられています。それは仏になるまで永遠に繰り返し、現在へ続いています。つまり、今の命は自分だけではなく、過去の世界から引き継いでいるものなのです。私達が生きている世界は人道です。せっかく生まれたのに、日頃の生活に追われ、本来の目的である「仏と成るための修行」が出来ていないというのが現実ではありませんか?

しかし、そんな私達にも、たった一つだけ、その輪廻の輪から離れ仏と成る方法があります。阿弥陀様の第十八願、王本願といわれる念仏往生の願です。『南無阿弥陀仏』と念仏を称えた者は、阿弥陀様の極楽浄土に往生できるという御本願です。極楽とは、私達が「仏と成るための修行」が極めて楽に出来るところ。そこに往って生まれ、生き修行させていただき、阿弥陀様のような仏様に成らせていただく。これが本当の成仏なのです。その阿弥陀様という仏様をお教えくださったのが、仏教をお開きになられたお釈迦様です。そして、その多くの教えから、その道をお示しくださったのが浄土宗の宗祖法然上人なのです。

 私達は、今、この悩み多き世界に生きています。これは決して偶然ではありません。阿弥陀様の救いと出会い、『南無阿弥陀仏』のお念仏と共に歩み、多くの方々と共に極楽に往生するために生まれてきたのではないでしょうか。

お葬式もお法事も、実は先に極楽浄土に旅立たれた方が、残された私達のために、その教えとの出会いを与えてくださっている大切な機会なのかも知れませんね。どうぞその時には、「この和尚さんの話し長いんだよなぁ~。」などと思わず、ゆったりとしたお気持ちで耳を傾けていただければ幸いです。

2012年06月08日
福島県 会津美里町 圓通寺 油谷一広