来迎引接(らいこういんじょう)

 衣替えも済み、いよいよ夏へと向かう頃です。この時期、私の故郷では田んぼに植えられた稲が、日に日に成長していく様子が見て取れます。盆地を囲む山々は緑を湛え、至る所で花盛り。私たちの目を楽しませてくれます。

故郷や どちらを見ても 山笑う
                       作 正岡子規

 まさにそんな季節ですが、寂しいお別れがございました。吉川さんという檀家さんが、関東へと引っ越されたのです。老齢であることと、自転車で転倒された時の傷の具合があまり芳しくない為に、息子さんが呼び寄せられたのだそうです。

 吉川さんというと、いつも思い出すお話があります。それは、ご主人がお亡くなりになった時の話でした。
 「あの人は死に際になって、初めて優しい言葉をかけてくれたんです。」吉川さんはそうおっしゃっていました。「もう最期だとわかっていたのでしょう、主人は、主治医の手を握って、涙を流しながら『ありがとう、ありがとう』って繰り返してから、まるで、ついでみたいに私にも『お前にも感謝してるぞ、ありがとう』って、初めて感謝されたんです!」

 その次の日の朝方、急にご主人は目をかっと見開いて、両手を突き上げて「万歳」の格好をされたそうです。「どうしたん、つらいの?どこか痛いの?」と、何を聞いても、何も答えてくれず、今度はその両手を、グーッと前の方に突き出して、その仕草が最後で、お亡くなりになったそうです。

 …主人の最後のあの仕草なんだったのでしょう?苦しんでいたのでしょうか?だからまだ、極楽に救われてない気がして…心配なんです。」吉川さんは、ご主人をなくされて、間も無い頃、心配そうにお話されていました。

 私は、その仕草が幼子の抱っこをせがむ仕草に思えて仕方がありませんでした。吉川さんは、ご主人が来迎を頂戴しているのを目の当たりにしたに違いありません。
 「とんでもない!それは、間違いなくご主人の事を阿弥陀仏様がおむかえにきたのですよ!」

ただ一向(ひたすら)に念仏だに申せば、仏の来迎は法爾の道理にて疑いなし。
                       「勅修御伝第二十一巻」

 私は、阿弥陀仏様がお誓いになられた、来迎引接についてお伝えさせていただきました。お念仏さえしっかりとお称えさせていただいておれば、阿弥陀仏さまがお迎えにきてくださる、それは、疑いようの無い、間違いない事であると、法然上人は教えてくださっています。

 ちゃんとお念仏をお唱えしてくださっていたご主人を、お誓い通りに阿弥陀仏様はお迎えに来てくださったのですよ。ご主人は、阿弥陀仏様が来てくださったのを目の当たりにして、うれしくて、一刻も早く抱きしめて欲しくて両手を伸ばしたのですよ。来迎を頂いたご主人は、苦しみも治まって、落ち着いた心のまま、極楽に往生されています。だから安心してください。」

 私は、こんなにもはっきりと、来迎を頂戴している方が、近くにいらっしゃった事に感激し、吉川さんと共にそれを喜ばせて頂きました。そのようにお伝えしてからは、ご主人を亡くされたことを御縁として、吉川さんもまたご自身の極楽往生の為に、一生懸命お念仏をお唱えしてくださるようになりました。

 亡き人の為とて手向けし念仏は 生るるわが身の教えなりけり

 春になれば自然と緑が濃くなり、花が芽吹くのは、大地自然の法則です。私たちがお念仏をお唱えすれば、阿弥陀仏様は必ず、臨終の枕元にはお迎えに来てくださる。これもまた、疑いようの無いことなのです。

 「また、お会いしましょう」とお仏壇を引越しのトラックに詰め終わった吉川さんは、おっしゃっていました。福井を遠く離れてしまっても、向こうで必ずやお念仏をお唱えしてくださっているはずです。

2012年06月19日
福井県 大野市 善導寺 大門哲爾