信仰の根を
今年の冬は記録的な大雪となるところが多かったようです。例年、少し積もるくらいの地元でも、何度も雪かきを必要とする積雪量でした。自然の力はすごいものですが、その雪が解けきった頃に福寿草が今年も可憐に咲きだしているのを目にし、春の訪れを感じました。「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」
寒い季節を乗り切って色々な花が咲きだす季節となってきました。しかし大きく咲いて終わりではありません。きれいに咲き誇っていても、やがてしぼんで散りゆく定めがあるのです。世の中もこの花と同じように、留まっていられるものは何一つなく、これが私達の住む娑婆世界、耐え忍ぶ世界の真実の姿であります。日々の生活に忙しく、なかなか気づけずにいる私達です。努力をして大きな花を咲かせることはもちろん大切ですが、その先の散っていくことにまで思いをはせるべきでしょう。
昨年の事、慕っていた祖母が、西方極楽浄土へと旅立ちました。お寺の佛事のこと、掃除や洗濯物の干し方に至るまで実に様々なことを教えて頂きました。朝夕のお佛壇でのお勤め、お檀家さんとの何気ない会話の中にも、祖母の信仰の深さを感じ、なによりその姿から、お念佛の尊さを気づかせて頂きました。粛々と生き、旅立って行きました。
会うものはいつかは離れてゆくものと頭では分かっていても、大切な人と別れるのはやはり大変悲しいものであります。
阿弥陀様はこの私たちが住む娑婆世界の外に、西方極楽浄土をお作り下さいました。「倶会一処」と言う言葉がありますが、たとえこの世界で離れても、お念佛を称える者はまた極楽で再会できるというものです。あらためて大変ありがたく受け取らせて頂きました。
とある研究所が、全国47都道府県のブランド力、つまりどれだけその地域に魅力があるかを調査しました。ブランド力1位は北海道。2位は京都。3位は沖縄と続きます。私の住む茨城県は47位という結果でした。住んでいる私からすれば魅力溢れる県なのですから、しっかりと良さを伝えることができれば違った結果になるのではないかと思います。
僧侶である私にあてはめれば、佛様の教え、浄土宗の教えをしっかりとお伝えすることが必要なのです。それができないとせっかくの素晴しい教えも正確には伝わっていかないことが多くあります。
お檀家さんとお話ししているときに、「今の佛教は葬式佛教になってしまっているから頑張りなさい」と言われたことがあります。亡くなってからしか関わることがない教えではなく、生きている私達の支えになる佛教でなければなりません。
法然上人は、「お念佛は生きるも死ぬもわずらいない教えである」とおっしゃいました。生きている間はお念佛をお称えしてその功徳が積もり、命が尽きたならばお浄土へと参らせていただく。いずれにしてもこの身にはあれこれと思い悩むことなどないのだから、生きるにも死ぬにも、なにごとにも思い悩むことなどなくなる教え。それがお念佛信仰なのです。その信仰心を確かに持てるように、私達は常日頃よりしっかりとお念佛に励まなくてはなりません。
桜は散り際が一番美しいともいわれますが、散りゆく儚さがあるからこそ咲いている花がより美しく見えるのでしょう。
信仰の根を深く深く張り、西方極楽浄土に思いをはせ、私達を救い導こうという阿弥陀様の願いを信じ仰いで、お念仏に励み、この世を精いっぱい生き抜きましょう。
合掌
2014年04月01日
茨城教区浄土宗青年会 藤井正彦