自己を見つめて

 落語の小話です。

 ある夫婦が夕食時に向かいの家の破れた障子を見ながら、「お向かいさん、いつまであの破れた障子、そのままにしておくんだろうねぇ?みっともないから早く貼り直せばいいのに」と話していました。その破れた障子をそのご夫婦はどこから見ながら話していたかというと、自分の家の破れた障子の穴から見ていた・・・

という笑い話です。
 この話のように笑い話で終わればいいですが、私たちも日頃、他人のことはあれこれ目につくものです。しかし自分のこととなると棚の上に上げっぱなしにしていることが多いのではないでしょうか?

 私も時折自分のことが恥ずかしくなることがあります。何度も同じ失敗を繰り返したり、ちょっとしたことでイライラしたり、怠け心に負けてしまったり。思い返せば本当に自分が嫌になります。それでも普段はそんな自分を棚に上げて自己を省みることなく坦々と過ごしています。
 しかも僧侶という立場上、人に注意を受けたり怒られたりすることもほとんど無く、周りからは頭を下げてもらい持ち上げられて勘違いすることもあります。僧侶だから偉いとは決して思ってはいませんが、多少なり今の立場にある自分のことを心のどこかで当たり前だと思ってしまう時がある気がします。とても怖いことだと思います。
 自分の物差しで自分を計ると「自分はまぁまぁよく頑張っている」というような評価をしてしまいがちですが、「本当にそうか?」と問われると返事に困ります。自分の評価は、やはり自分では甘くなります。

 浄土宗を開かれた法然上人は、人々からは『智慧第一の法然さま』と讃えられた方ですが、ご自身のことは『凡夫』(ぼんぶ)であるとはっきりと認められ、厳しくご自身を評価しておられます。『凡夫』とは煩悩を断ち切れず、救われ難く苦しみの世界を巡り続ける存在のことです。つまり、この世に生きる私達すべてのことです。
 法然上人はご自身を『凡夫』だと見つめられ、深い懺悔の中で苦しみ、何遍も仏教の経典を学び、厳しい修行の末に浄土宗を開かれました。
 「本来救われ難い自分は只ひたすら「なむあみだぶつ」とお念佛を称えるしかない。お念佛を称え、そして阿弥陀様に極楽浄土へと救っていただく。『凡夫』の私たち人間が救われるにはこの道しか無い」とお示しくださいました。
 普段は棚の上にあげている自分を省みた時、もし法然上人と自分を照らし合わせたとしたら、間違っても「自分は頑張っている」とは言えるはずはありません。

 昭和から平成にかけて活躍された落語家の五代目三遊亭圓楽さんは、人気テレビ番組『笑点』の司会者としてもおなじみだった方です。その圓楽さんが自分の落語について語った言葉です。
「自分がうまいうまいと思っているときは、逆に芸は下がり、おれはまずいとか、いけないなと思った時には芸は上がるもので、本人の意識とは反対です」
 ご自身をしっかりと省みておられます。この言葉からもあの優しい語り口調と笑顔が思い出されます。圓楽さんは自己をしっかりと見つめていたからこそ、長きに渡り多くの人に愛されたのだと思います。

 自己を深く見つめることで、至らない自分に気づかせていただきます。そうすることで、自分は本来救われ難い『凡夫』だと自覚することができます。自分が『凡夫』だと自覚することで自然と頭が下がり「なむあみだぶつ」とお念佛が称えられると思います。そのような謙虚な気持ちで日々過ごしたいものです。

合掌

2014年03月01日
青森教区浄土宗青年会 楠美知剛