人として生まれたからには

 現在、テレビをつけると、様々な情報が流れてきます。政治や出来事・天気、芸能ニュースと様々な種類の情報を得る事が出来ます。その中でも最近は、子供を巻き込んだ事件や事故が多く起こっています。地域だけでなく、全国的にも報道がなされ、新聞でも大きく取り上げられてきています。事故で亡くなり、悲しんでおられる親御さんの姿も映し出されています。また、親が子を、子供が子供を手にかけるといった報道も少なくありません。年々、このような報道が多くなっているような気がいたします。

 『子供とはいろんな言い方をしますが、「授かり物」であると言います。地域によっては「コウノトリが運んでくる」などと言って、生まれてくる事も奇跡に近い、尊い事ととらえる事もあります。
 法然上人のご出生をみてみますと、『法然上人行状絵図』には『漆間時国公と秦氏のお二人は、子宝に恵まれないことを歎いて、神仏に祈りました。その結果、秦氏が剃刀をのむのを夢に見て懐妊され、勢至丸(法然上人の幼名)を出産された』と記されてあります。法然上人のご両親もなかなか子宝に恵まれませんでしたが、神仏に祈ってまでも子供を授かりたいとお考えになったのです。子供の命を授かる事は奇跡に近く、尊い事ですが、授かる事はとてもうれしいことであります。

 法然上人の『一紙小消息』には、「受け難き人身(にんじん)を受けて、遇(あ)い難き本願に遇いて、発(おこ)し難き道心(どうしん)を発して、離れ難き輪廻(りんね)の里を離れて、生まれ難き浄土に往生せん事、悦びの中の悦びなり。」とお示し下さっています。私たちが、輪廻する中で受ける事が難しい人間としての生を受けて、生きている間に阿弥陀佛の本願に出会い、おこす事が難しい悟りを求める心をおこして、輪廻し苦悩する世界を抜けて、生まれる事が難しい極楽浄土に往生する事ができること、それは悦びの中の悦びなのです。

 命をいただき、今私たちが生かされているのは、両親のおかげであり、さらにはその両親やご先祖、沢山のご縁を頂いてのことです。その誰が欠けても、私たちは、今ここにはいないのであります。この世に生まれてくる事も難しく、生を受けても母親のお腹の中で十月十日かけて少しずつ大きくなっていくのであります。そうして私たちは、生まれてくる事が難しい人の身に生まれる事ができ、さらには阿弥陀佛のみ教えに出会う事ができたのであります。

 法然上人は阿弥陀佛のみ教えのとおり、「ただひたすらお念佛をお称えすれば極楽浄土に往生させていただける」とお示し下さっています。
 自分の命だけでなく、他者の命もまた、多くのご縁があってこそ「いただいた命」です。お互いに、大切に生きたいものです。また、人の身として生まれてきたからこそ、佛の教え、阿弥陀佛の本願に出会えたことを喜び、日常よりお念佛の生活を送り、共に極楽往生出来るように精進いたしましょう。

合掌

2013年12月08日
熊本教区浄土宗青年会 三宅俊明