彼岸会法要にて

 一昨年のお彼岸で、あるお檀家さんの家へお勤めにお伺いしたときのことです。そこのお宅には小学生のお子さんがいらして、私がお勤めに伺うと、必ず後ろに座り、お数珠を持ち、お経を読み、大きな声で家族のみなさんと一緒になってお念佛をお称えしてくれます。
 この日もいつものようにみなさんとお勤めを終え、お茶を頂きながら少し世間話をしていました。私がおばあさんとお話しをしている脇で、お子さんがお母さんと何やらコソコソと話をしていました。するとお母さんが「自分で聞いてみなさい」とお子さんに一言。私が「どうしたの?」と聞くと、少し照れながらお子さんが私に「今度お寺に行ったら、またあの大きなお釈迦さんの絵は見ることができますか?」と聞いて来られました。
 自坊で勤める彼岸会法要では、本堂にお釈迦様の『涅槃図』の掛け軸をお飾りしています。お子さんは前の年に、親御さんについて秋の彼岸会法要に来てくれたのですが、その時に見たその涅槃図(ねはんず※お釈迦様がお亡くなりになった時の様子を描いたもの)にとても興味があったようで、ずっと気になっていたらしいのです。後でお母さんにお聞きしたのですが、その時は法要に参加するのも本堂でお参りをするのも初めてでとても緊張していたらしく、ゆっくりと掛け軸を見ることができなかったようです。

 翌日、本堂での法要に親御さんと一緒にお参りに来てくれました。お子さんは一番前の列に座り、しっかりと手を合わせ元気よくお勤めをしてくれました。もちろんその後は楽しみにしていた涅槃図の前にいき、今度はじっくりとお釈迦様の絵を眺めていましたが、その時のうれしそうな表情は今でも覚えています。
 また、法要の後にはみなさんにお斎(とき※お参りの方に召し上がっていただく食事)を召し上がって頂くのですが、お子さんは何杯もご飯をおかわりしてたくさん食べてくれていました。献立は茶飯や煮物・おひたしなど、昔ながらのもので子供が喜ぶような料理はありませんが、そのお斎が食べられるのも、同じように楽しみにしていたようです。
 最後に「ごちそうさまでした」と挨拶に来てくれたので、私が「またお寺に来てね」と声をかけると、「はい」と元気に返事をして、親御さんと一緒に帰っていきました。私はそんな姿を見ながら、このお子さんが気軽にお寺へお参りに来てくれたことがとてもうれしく、またとても大切なことだと改めて実感したことです。

 近年、法要などでもお寺にお参りに来られる方、特に若い世代の方が少なくなっているように見受けられます。
 歴史を振り返ったとき、日本に伝来した佛教は鎮護国家としての役割を担っていたため、一般庶民と直接的な関わりはほとんどありませんでした。しかし、12世紀半ば~13世紀初めにかけて、浄土宗をはじめ、民衆の救済を中心とした「鎌倉新佛教」と呼ばれる様々な宗派が登場したことで、佛教が民衆の間で一気に広まっていきました。当時は戦乱や天災・飢饉・疫病などとても厳しい環境で、人々はそんな日々の生活の中に何か拠りどころとなるものや救いを求めており、その中でお寺や佛教の教えが必要とされ関わりを深めていきました。そんな時代の中、法然上人が示されたすべての人々を分け隔てなく、平等に救うと誓われた阿弥陀佛の本願でもある「称名念佛」の教えは、当時の人々に大きな影響を与えました。

 今と昔とでは時代背景の違いはありますが、お寺とは人々に開かれた場所であり、佛教とは身近な存在であったと思います。お寺へお参りに行く理由やキッカケは人によって様々ですが、このお子さんが涅槃図をキッカケに佛教に興味を持ち、気軽にお寺へ来てくれたことは、私自身も色々と考えさせられる出来事でした。
 もっと身近な場所・存在としてお寺が人々と関わり、そしてみなさんと手を合わせお念佛をお称えする機会が増えることを願っています。また来年、このお子さんがお寺へお参りに来てくれるのを楽しみにしています。

合掌

2013年10月03日
岐阜教区浄土宗青年会 浅野 昭良