増上寺の阿弥陀様
『浄土宗』は1175年に法然上人により開宗されました。その御教えは、西方極楽浄土におられます阿弥陀佛を信じ、お念佛(南無阿弥陀佛)を称えることで、その人の命が尽きる時に、阿弥陀佛が来迎(らいこう)してくださり、必ず極楽浄土に往生させていただけるというものです。我々、浄土宗の僧侶は法然上人の御教えを受け継ぎ、人々に伝えて行かねばなりません。さて、浄土宗の僧侶になるには修行が必要ですが、僧侶になってからの修行もあります。
昨年の十月、私は地元の御住職方と共に増上寺の璽書道場に参加することにしました。璽書道場とは浄土宗の御教えをさらに深く教えていただく為の修行を行う所です。僧侶になるための修行からかなりの年月が経ち、今回の修行は相当厳しいものになるだろうとなんとなくわかっていました。
増上寺は、三縁山増上寺と言い、浄土宗の大本山の一つであり、東京タワーの側にあるということで有名なお寺です。私は今まで話に聞くだけで、一度も行ったことが有りませんでした。
行ったことが無い所へ行くというのは楽しみでもある反面、実は不安なものです。修行というものとはかけ離れた生活を送っている私は、入行まで一ヶ月を切った頃、なんとか自分を奮い立たせる方法はないだろうか、この不安を取り除く方法はないだろうかと考えました。「そうだ、道場で使う如法衣(にょほうえ)を作ってみよう。」入行に間に合うかどうか分からなかったのですが、自坊にある如法衣を手本にしながら生地屋で購入した茶色の生地を裁断し、一針一針何度も失敗を繰り返しながら、時には夜通し縫っていきました。如法衣に限らず御袈裟というものは広げてみると相当大きいものです。様々な大きさの四角の生地を縫い合わせ形にするのですから縫う距離はかなりの物です。御袈裟を作る職人さんは普段こんなに大変な思いをしているのかと感じながら、何度も挫折し何度も辞めようかと考えましたが、ようやく入行前日に完成しました。如法衣をお守りにし、不安も少し和らいだのですが、緊張しながら増上寺へ出発しました。
増上寺山門の三解脱門(さんげだつもん)をくぐると、中央には、どっしりとした頑丈そうな大殿、右には秘佛の黒本尊が奉ってあるという安国殿が見えます。今までどれ程の僧侶がこの地で学び、どれ程の人々が参拝に訪れたでしょうか。身が引き締まる思いになりました。
修行が始まりました。毎朝四時過ぎに起床し身支度を調え、念佛行道(お念佛を称えながら歩くこと)で大殿へ向かい勤行が行われます。早朝でも参拝に訪れる人は多いものです。大殿の御本尊は阿弥陀如来座像です。どれだけの沢山の人々が極楽浄土へ往生したいとの願いを込めて建立されたことでしょう。とても良い御顔、御姿をしています。なんと美しいことでしょうか。眠い目も覚めるほどです。毎朝、阿弥陀様に会うことが楽しみになりました。大殿勤行では、行僧の座す所は決まっておりまして、阿弥陀様は遠く、眺めることしかできません。どうしても近くで見てみたいと日々、思っていたのですが、その機会は訪れませんでした。
就寝時間は夜の九時半です。疲れていますので、すぐに眠れるかと思っていましたが、大広間に皆で寝るのも規則正しい生活も馴れていない私にとっては、なかなか寝付くことができません。ようやく一時頃ウトウトするのですがもう朝です。当然、体調も悪くなり食欲も無くなり、修行は一層困難なものとなっていきました。大殿の上階にある道場で様々な勉強をするのですが、辛くて螺旋階段をどれだけ上ってもたどり着かないのではないかと思うほどの距離に感じてくるのです。汗かき息を切らしながらの上り下りです。まさに修行といった所でしょうか。学問にしても作法にしても学ぶべきことは沢山ありました。日々の暮らしでは気づかなかったことや当たり前に思っていたことが当たり前でなかったことにも気づかされ、改めて日常生活の有り難みを心から感謝しました。
先生方や行僧の方々に助けて頂き、なんとか修行最終日を迎えることができました。最終日、私の場所は、なんと阿弥陀様の目の前でした。偶然だと言われるとそれまでですが、私にとって間近で見る美しい御姿を前にして、「阿弥陀様は私の思いをかなえてくださったのだなあ。」と思いました。お念佛を称え、礼拝(らいはい)し、阿弥陀様とお世話になった方々との御縁に感謝し、共に過ごした如法衣と増上寺を後にしました。
法然上人の御教え、お念佛に出会えていなければ、増上寺での教えをいただくことも、阿弥陀様に出会うことも、如法衣を作ることも出来ませんでした。そして様々な人からいただいた御縁は得られなかったことでしょう。
皆様も、ともにお念佛をお称えしていきませんか。
2013年09月02日
新潟教区浄土宗青年会 五十嵐泰広