根を培う

 恩返しを表す字に『孝』という字があります。これは子が老人を背負っていることを表しています。この孝には二つの孝があると説かれます。『世間孝(せけんこう)』と『出世間孝(しゅっせけんこう)』であります。『世間孝』とは広く世間一般に行われる孝のことで、出世間孝とは佛道に関する孝であります。自らが佛縁を結んでいくことや、父母を悟りに向かわせることであります。世間孝、出世間孝どちらも尊いことでありますが、より尊いのは出世間孝であると教えられます。何故なら世間孝には期限があります。『親孝行したい時には親はなし』と歌われる通りです。しかし出世間孝は阿弥陀様を通して父母先祖に孝を為すのですから、期限がありません。また、お念佛をお称えし、親先祖の後世の安楽を阿弥陀様に頼むことが、何よりの出世間孝でございます。この出世間孝の中に『追孝(ついこう)』というものがあります。たとえこの世では佛縁がないまま先立って行かれたお方であっても、南無阿弥陀佛とお念佛回向(えこう)をし、その功徳を振り向けることで、必ず極楽浄土へと阿弥陀様がお導き下さるのです。
 
 私の先輩が、地方のあるお寺の本堂落慶(らっけい)法要に招待されました。滞りなく式も無事終了し、あとは祝宴を待つばかりとなった時のことです。いよいよ乾杯という時に、「ちょっと待って下さい」と声が掛かりました。皆が振り向いて見ますと、身なりを整えた老紳士がそこにいらっしゃいました。「今日のお慶びの日に当たって、皆様に是非聞いてもらいたいことがございます。」と、この老紳士が飛び入りで祝辞を述べられることになりました。

 「この度は当山の落慶法要、誠におめでとうございます。実は私は関東で会社を営んでいる者でございます。お陰さまで創業以来、会社は順調に成長いたしまして、今はこの通り隠居の身でございます。中学しか出ていない私は特別な商才があったわけではありません。また人より何か勝れているものがあるという訳でもありません。そのことを考えて見ますと、今日の幸せな日々があるのはご当山先代住職様の一言でありました。私は中学を出てすぐに、この近くの材木屋に住み込みで働きました。ある日大きな木にカンナを当てておりますと、先代様が通りかかり、声を掛けて下さいました。
 『ほう、お前さんはこの四月に入ってきたばかりの新米さんだな。一つ良い事を教えてやろう。その大木は最初からそれだけ立派な木でなかったことはお前さんにも分かるな。その木がそこまで成長出来たのは、根っこのお陰なんだ。お前さんが木を扱いなさる時、その木の根っこに思いを馳せ、感謝して仕事なさるがよろしい。同じように人間も根っこがあってはじめて成長できるんだ。お前さんにとってはお前さんを生み育てて下されたご両親やご先祖がお前さんの根っこなんだ。感謝の念を忘れず南無阿弥陀佛と称えるのだぞ。』と教えて頂きました。
 そのことを聞いてから、なるほどそうだと思い、仕事をする時には木の根っこに思いを馳せるようになりました。また住み込みの部屋には紙に先祖代々と書いて貼り、朝晩必ず手を合わせるようになりました。今日までそれが続いておりまして、朝晩必ず佛壇に向かって親先祖に感謝し念佛しております。何の才能も無かった私が、人と違う何かをしてきたか?と問われればこのことだけです。しかしこれで私は守り導かれてきたのです。先代ご住職さま、尊きお導き誠に有り難うございました。お檀家の皆様方には皆様方のご先祖を守る立派な本堂が出来たことを心よりお喜び申し上げます。」と挨拶され、その場に居合わせた人皆が、感銘を受けたということであります。

 これは樹木に限った話ではございません。人間も同じであります。親先祖がなければ『私』はいない。親先祖への最善の恩返しは南無阿弥陀佛とお念佛を称えることです。そのお念佛が、自らの根っこを養い培います。
 お盆の季節です。親先祖を想い、ご家族揃って、南無阿弥陀佛とお称えしましょう。

合掌

2013年08月17日
滋賀教区浄土宗青年会 奥村照真