無常の世に生きるものとして

私が住職を務めますお寺は、幽谷(ゆうこく)山履行(りぎょう)院正覚(しょうかく)寺と申します。このお寺には『履行(くつはき)阿弥陀如来』という、一風変わった阿弥陀様がいらっしゃいます。その名の通り靴を履いたお姿をされており、如来像では大変珍しいもので、当山の院号の由来となっています。当山を開かれた深誉上人という方が、夢告によりこの如来像を探し求められ、一宇を建立されたのが当山の起りであると寺伝に記されております。その寺伝に依りますと、この阿弥陀如来像は、一時は平家の所有であったものを、清盛に仕えた白拍子の一人で、佛御前(今の石川県小松市出身)という方に、清盛が餞別として贈ったということです。

 平清盛が栄華を極めた時代は平安末期。地震や飢饉が起こり、疫病が蔓延し、貴族や武士による争いも多発して、都のいたるところに遺体が放置され、誰もが死を身近に感じていました。人々は、死と後世への譬えようもない不安と恐怖に苛まれ、救いを求めていた時代であります。特に日本では1052年が末法元年とされており、人々の不安は一層高まりました。さらに武士が力を増し、勢力争いを続ける一方で、比叡山や高野山、奈良興福寺の僧兵たちも所地所領などを巡って争いを起こす有様で、京都は混乱し、御所すら定まらない状態でした。そんな中、法然上人は1147年・15歳で比叡山に登られていますので、都の惨状はその時にも目に映ったことでしょう。その後、勉学・修行・持戒の日々を過ごされ、智慧第一の法然房と称されても、なおも求道(ぐどう)の道を行かれたのは、その惨状と苦しみに喘ぐ人々の姿をご覧になっていたからでもあると思います。奈良の諸寺を訪ね高僧と讃えられた方々にも教えを請われた法然上人ですが、「万の智者に求め、諸の学者に訪いしに、教うるに人もなく、示すに輩もなし」と嘆かれ、以後は比叡山西塔の黒谷青龍寺に籠られ、ひたすら佛典を繰り返し読む日々を送られました。そして、1175年、上人43歳の時に、ひたすらにお念佛をお称えする専修(せんじゅ)念佛の道に入られます。

 清盛もまた、傷ついた都の姿や苦しみに喘ぐ庶民の姿を見て、民の幸せのための国造りを目指しました。中国との貿易を行ない、国を豊かにすることを考えた清盛は、武士の世を造り自ら都をも動かしましたが、その姿はあまりにも傲慢で平家一門の繁栄のみを願っているように人々の目には映ったようです。貴族のように振る舞い武士の心を忘れて、やがて源氏に敗れていく平家でしたが、一門の者にさえ理解されなかった理想、一門を導くことができなかった悔しさを抱えたまま、平家の終焉より先に命を終えるしかなかった清盛の無念はもちろん、瞬く間に移ろいゆく世情に抱いた無常感というものは、一門の中でも最たるものだったのではないでしょうか。

清盛に仕えた佛御前もまた、栄枯盛衰の無常を目の当たりにし、清盛の元を離れ嵯峨の清凉寺にて、法然上人のお弟子の湛空(たんくう)上人を戒師として出家し、ひたすらお念佛の日々を過ごしました。一心に後世を願う佛御前の姿を見て、清盛が心を動かされ、自らの後世と共に阿弥陀像を佛御前に託したとしても不思議なことではないように思います。

 浄土宗の行は、ひたすらお念佛をお称えすることであります。「『南無阿弥陀佛と称えれば必ず西方極楽浄土に迎える』とのお誓いを成就された阿弥陀様を信じ頼み、ただただお念佛をお称えすることで、必ず極楽浄土に往生させていただける」と言う法然上人のみ教えは、現世の苦しみと後世への不安や恐れの中にいた当時の人々に、この上ない安らぎを与えるものでした。以後、そのみ教えは、遮られることのない阿弥陀様のみ光の如く人々の心に届き、法然上人ご往生から800年以上過ぎた現在、海外にまで広まっています。
 法然上人は、ただ一時の安心感のためではなく、命終わるその時に極楽往生の思いを確かなものにするためにも、日常生活の中でお称えし続けるお念佛を大切にしなさい、とお説きになられました。それは、世の中も人の心も常に移ろいゆく、無常を見つめてのことなのです。
 現在も世界中に様々な苦しみが溢れ、多くの方が悩み傷ついています。それは800年以上前の平安時代の終わりとなんら変わることのないものであり、人がこの世で生きていく限り苦しみから離れることができないという証でしょう。だからこそ、後世の安楽を願い、阿弥陀様におすがりして、お念佛をお称えする日々を送ることが大切なのです。

 当山の阿弥陀様が靴を履いておられるのは、地獄・餓鬼・畜生という極苦の世界にまで救いに行かれるお慈悲の姿を現すものだと、寺伝に記されています。その極苦にも劣らない苦しみの中にいる私たちは、阿弥陀様のお救いを信じ、ただひたすらにお念佛をお称えするのみです。共に無常の世を生きる者同士、ご一緒にお念佛をお称えしてまいりたいと存じます。

合掌意念

2013年07月01日
石川教区浄土宗青年会 正覚寺 小新真弘