パゴタへ

 北部九州はそろそろ、寒かった冬も終わり春の気配を感じようとしています。
 少し、張っていた肩のちからが抜ける様です。庭先のサクランボの木にはふっくらと大きな蕾を宿しています。今年もたわわな実をつけて春を感じさせてくれるでしょう。
 し・か・し、肩のちからを抜いてばかりはおれません。平成25年4月は九州本山、善導寺。元祖法然上人800年大遠忌、二祖聖光(しょうこう)上人誕生忌、庫裡落慶法要に浄青会会員の志を高め準備にあたらなければなりません。また、その前に月初めには春季彼岸会の準備に取り掛からなければ。現実が身にしみます。まあ、一つ一つ目標と道筋を持って精進して参ろうと決めております。
門司港という町に私のお寺はございます。お寺を設ける山の頂上には門司港の町を見守るようにミャンマー(ビルマ)の寺院、平和パコダが建立しております。町のどこからでも眺める事が出来ますので私のお寺を案内するにも目印となっております。
 第2次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和33年(1958)9月に建立されました。「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」を目的とし境内には僧院、戒律堂も併設され、釈迦如来を本尊とされておられます。ビルマより派遣された僧侶が常住し上座部仏教の修行、布教、慰霊に勤めておられました。私が幼き頃、パコダに行くと「おー、ふもとのお寺の坊主か。」と可愛がってもらい、よく遊んで頂いた思い出があります。町にも買い物等に降りてこられて人々とも馴れ触れ合っておられました。
 ところが三年程前の事です。平和パコダは太平洋戦争のビルマ戦線復員兵らでつくるパゴダ奉賛会が運営費を負担してきましたが、会員減に伴い運営が困難となりまして、2人いたミャンマー人僧侶も既に帰国を余儀なくされました。しかし昨年、門司の自治体や企業、仏教会、各種団体では新たな僧院の建設費と運営費の出資者を募り、僧院の建設計画やミャンマーから僧侶を呼び寄せる方針がきまりました。門司港のシンボルの再開に区民は喜びの声をあげています。

そんなご縁のあるミャンマーという国に訪ねる機会を頂いたのは五年前の事です。私はミャンマーの首都ヤンゴンに降り立ちました。そこには私がそれまで見てきたパコダとは比べようがないくらい巨大な僧院パコダ、シュダゴンパコダがそびえ立っていたのです。ミャンマー最大の都市ヤンゴン(ラングーン)市街中心部の北にある、小高い丘の上に建つ寺院。高さ100m弱とミャンマー最大規模で、最も名高いパゴダ(仏塔)として同国の正にシンボル的存在になっています。市民の心の拠り所となっており毎日、参拝の人々で溢れております。金のプレート8688枚、ダイアモンド5451個、ルビー1383個は善男善女の寄進によって集まったものです。人々は功徳を積み、来世の幸せを願います。
 私はその壮大なる建造物と煌びやかな荘厳に圧倒されたのです。そして信者達のパコダに対して崇拝信仰する姿に明らかなる道筋を感じたのでありました。

先月3月20日は、お彼岸の中日(春分の日)でした。彼岸の中日は、太陽が真東から昇り、真西に沈むところから、その陽の沈みゆく西方の彼方にある『西方極楽浄土』に思いを凝らします。
 阿弥陀さまは、私たちのように自らの力で煩悩を断ち切れない凡夫に救いの手をさしのべるため、「南無阿弥陀佛と称える者を必ず我が浄土(=西方極楽浄土)に救い摂る」というご本願を建て、お念佛のみ教えを授けてくださっています。お念佛の生活を日々送ることが道筋となり、人生の最終目標である西方極楽浄土への道を、確実に歩むことになるのです。
 目標と道筋があるというのは有り難いことです。真っ暗な世界を闇雲に進むのではなく、迷い悩みながらも、その目標に間違いなく進むために引かれた道筋を、その目標を見つめながら歩いて行けばいいのですから。

南無阿弥陀仏

2013年04月01日
福岡教区浄土宗青年会 田村宗孝