明日の大事をかかじと、今日はげむがごとくすべし
皆様こんにちは。私の住む寺は、世界遺産宮島の中にあります。今から四百三十年前、遠くはるばる磐城国(今の福島県)から全国行脚に出た以八上人(袋中上人の兄)によって開かれました。以来法灯は受け継がれ、この秋には上人の四百回忌を迎えます。先日私は、文明の力、新幹線等を乗り継ぎ、上人の故郷となる被災地福島を訪れました。講演会で、日本がかつて経験したことのない苦境に立たされている現実と、それでも負けずに明るく前向きに生きてゆこうとしている人々、子供達の姿に改めて心を打たれました。一日も早い復興を心から願うところです。
ところで昨年も多くの著名人が鬼籍に入りましたが、その中当地広島出身の新藤兼人さんが、五月二十九日に満百歳で旅立たれました。新藤さんが三十代初めの頃、日本は戦況が悪化していました。「根こそぎ動員」ということで、それまで招集のかからなかった方々と共に、激戦地フィリピンに赴くこととなります。雑用係の名目でかり出されながらも、無事帰国出来たのは百人の内たったの六人、という憂き目に会います。
帰国後は念願の映画制作に関わるようになります。一般に映画制作というと、観客動員数など興行成績こそが第一ですが、新藤さんはそうしたことにこだわらず、戦争や核の不条理さを描いたり、平和への思いを込めたりという作風で、人々の共感を得ました。
しかしやがて財政難に陥ります。会社の存亡がかかった危機的状況の中、最後の賭けの気持ちで、映画『裸の島』を僅かの予算で制作します。
舞台は無人島。憂い漂う旋律が流れる中、台詞は全くありません。水も電気も無い、お椀をかぶせたような小さな島で、一組の夫婦が、隣の島の川から汲んで小舟で運んできた水を、天秤棒を肩に担いでは運びます。小高いところにある畑の乾ききった地面に、ザッと返すとスッと吸い込む。また運んできてはザッと返す。また吸い込む。単調な作業の繰り返しですが真剣さが際立ちます。
一風変わったこの作品は話題を呼び興行的にも成功し、映画作りを続ける事が出来ることとなりました。
後に九十八歳の時の対談番組で、これは何を表現されたのかを問われ、「これは「心」なんです。心に水をかけるんです。分かる人には分かります。」と話し、さらに続いた次の受け答えが印象的でした。
聞き手「最低限の予算の中で、「人の心に水をやる」という
ことを一生懸命に描いた訳ですね?その新藤さんの
信念、それから五十年経った今も変わりませんか?」
新藤氏「変わりませんね。同じなんです。で、一歩一歩やら
ないのは失敗してますね。」
聞き手「戦後日本は急成長を遂げたと思われますが、新藤さん
は、どう思われますか?」
新藤氏「そうしたことも全て一歩一歩だと思います。そうで
ないものは残らないと思います。」
震災地復興への気運高まる中、再放送された、波瀾万丈の人生を生きた新藤さんの信念に満ちた言葉に、私はただ頷いていました。
そしてまた一方では、これらの話を喩えとして、私たちの信仰生活に照らしてみたならばどうだろうか、と考えてみました。
易行のお念佛だからといっても、日々の継続が大切ですね。私たちはこのことを、無間修(むけんじゅ)(休み無く、継続して)と教えられています。ですが怠け心がムクムクと湧いてきてしまうのはなぜでしょう。
法然上人のお言葉には、
七日七夜心無間(むけん)というは、明日の大事をかかじと、 今日はげむがごとくすべし。
【つねに仰せられける御詞】
〔意訳〕「善導大師が『法事讃』の中で、「七日七晩、絶やす 心なく念仏を称えよ」と仰っているのは、「明日かも知れない 往生の一大事を逃してしまわないように、今日の一日を励もう 」との思いで、お念佛を称えなさい、ということです。」
とあります。これは八百年の時を越えて、今現に法然上人から私達に投げかけられている、温かい励ましのお言葉である、と受けとめたいと思います。
皆さんの中で、私はいざとなればすぐに称えられます。などと言って日頃はお念佛がご無沙汰になっている方はいませんか?
しかし私達の心は放っておいたら心は乾いてしまったり、思わぬところに転がって行ってしまったりする性をもっているのです。先程の話の中で、畑や草木に毎日水やりをするのと同じように、心がけ次第で大きく変わってきます。大切な信心の苗木を枯らしてしまうことの無いようにしたいものです。
色々と思うようにならぬことも多いこの世の中ですが、私達は阿弥陀さま、ご先祖さま方のお見守りを受け、幸せを願われているのです。そうした中であるからこそ、心豊かに念佛相続の日暮らしをさせていただくことが出来ます。たとえ一歩一歩はつたなくとも、未来に向かって明るく力強い歩みを続けて行こうではありませんか。
南無阿弥陀佛
2013年02月21日
広島県廿日市市宮島町 光明院 能登原昌史