本当に念佛はだれもが称えることが出来たんです

 阿弥陀様のお念佛が勝れている理由のひとつに「易行である」ということがあります。「お念佛はだれでも出来る簡単な行!」このことを現代のおばあさんが証明してくれた。そんな体験をお話ししたいと思います。

 先日、介護老人福祉施設に見学に行く機会を得ました。そこには約50名もの重度の認知症の高齢者が入所されており、建物の二階に設けられた施設がその方々の日々の生活の場であり、そこが終の棲家となる方もおられます。
 そんな施設を見学していく中で、私にも入所者と接する時間が与えられました。私は介護資格が無いので、当然ながら直接のお手伝いはさせてもらえませんでしたが、「二人のおばあさんとお話しをして下さい。」との指令を頂きました。

 普段からお寺で高齢者の方々と話をする機会も多く、さらには元より話し好きですので、意気揚々とその二人のおばあさんの間に陣取り、まずは自己紹介から・・・と「はじめまして!か・ね・い・わ・です。」っと元気よくご挨拶・・・。ところがその二人のおばあさんは何の言葉も返してくれません。それどころか私の方すら向いてくれないのです。そこで、再度、今度は一人ずつ。まずは右側のおばあさんの正面に向いて「こんにちわ!」・・・漸く目が合いました。しかし、挨拶を返してはもらえませんでした。次は左のおばあさん。「こんにちわ」・・・今度は軽く頭を下げてもらえました。しかしそれ以上の事はありません。そこで気を取り直して、「何をしてるんですか?」・・・これも無反応・・・さすがに焦ってきました。こちらが話す言葉に対して何ら反応を示してもらえないのです。・・・そうなんです。このお二人は挨拶をしても返すことが出来ません。自分の名前を伝える事も出来ません。重度の認知症の方ですので、生活に必要な行動の多くを失ってしまわれているのです。

 以後の時間、一向にお二人とのコミュニケーションが取れないまま時間が過ぎていきます。右側のおばあさんはずっと体を揺れ動かしておられます。反対に左側のおばあさんは何かをずっと続けて話しておられます。とてもリズムよく、繰り返し、繰り返し・・・「タン・タン・タン。タン・タン・タン。」奇妙な6拍子を刻みながら何かの言葉を繰り返して、しかも相当長い時間続けておられる。この方は一体何を喋っておられるのだろう・・・

 「タン・タン・タン。タン・タン・タン。」
 「タン・タン・タン。タン・タン・タン。」
 ・・・

 誠に失礼なことでありましたが、コミュニケーションが取れない中で、ずっと続けられるその6拍子が鬱陶しいくらいに思えてきた調度その頃、私の耳に普段聞き慣れた言葉がすーっと入ってきたのです。

 「タン・タン・タン。タン・タン・タン。」
 「タン・タン・タン。タン・タン・タン。」
 ・・・
 「な・ま・ん。だ・ぶ・つ」
 「な・ま・ん。だ・ぶ・つ」

えーっ!!!
 「こんにちわ」とか「いただきます」とか日常の会話、さらには自分の名前すらも伝える事が出来ないおばあさんの口からまさか聞こえたお念佛。浄土宗の僧侶としてこれほど嬉しいことはありませんでした。私は思わず、人目もはばからずそのおばあさんの両手を握りしめ一緒に「な・ま・ん。だ・ぶ・つ」とお称えしました。

 阿弥陀様は難しい修行では叶えられない方も居るだろうからと、最も容易い方法として阿弥陀様の名前を呼ぶことを極楽往生の条件とされました。法然上人は全ての者が救われる教えを求められ、数ある法門の中から難行ではない易行の教えとして、阿弥陀様のお念佛の教えを見出され、広く万人に勧められたのであります。
 まさにこのおばあさんは、阿弥陀様の教え、法然上人のお勧めを現代に実現されていたのであります。誰もが称えることが出来るという事実を、この重度の認知症のおばあさんが証明してくれたのです。
 阿弥陀様の教えは、まさに現代に生きる教えであり、我々が救われる唯一の法門であることを確信出来た。そんな出来事でありました。
 あぁ私達も、あのおばあさんのようにいつまでも「な・ま・ん。だ・ぶ・つ」を称え続けていたいものであります。


2013年01月01日
京都市右京区 轉法輪寺 兼岩和広