僧侶の本分
立冬を迎え、暦の上では冬となった。ついこの前「今年」が始まったかのように思っていたのだが、その「今年」もはや終わろうとしている。一年の過ぎるのは早い。少し大げさな言い方をすれば、人の一生も、やはり早い。浄土宗青年会に入会して、今年で十四年になる。本来なら卒業させてもらえるはずの年齢なのだけれど、わが小教区ではさらに数年間の定年延期が申し渡される。もちろん年金など出ない。会員数不足が深刻な問題なのだ。だが、いざその年齢を目前にすると、なんだか寂しくてしょうがない。もう「青年」ではなくなるのかなァ?いや、そんなはずはない!
思い返せば、いろいろなことがあった。ハワイ開教区を巡り、北米別院ではセミナーに参加した。翌年、そのアメリカで911テロが起きた。結婚して子供を三人も授かった。末っ子には、先天性の重い障害があった。教区会長の任期中にブロックの研修大会を受け持った。尊敬する祖父が遷化した。タバコをやめた。授戒会一つと五重相伝二つと晋山式九つのお手伝いをした。東日本で大震災にともなう津波と原発事故が起きた。法然上人の八百年大遠忌をお迎えすることができた。住職になった。璽書を受けた。そして今年、父の退山式と自分の晋山式をした。
幼かった頃あれほど嫌っていた寺の仕事。何も考えていなかったくせに、人に将来を問われることを恐れ、体のいい答えを用意していた。できるだけ遠くに、自分にもハッキリ見えないくらい遠くに。そして今、なるはずがないと思っていた僧侶になって、日々の法務に明け暮れている自分がいる。すでに、たくさんの方を見送ってきた。家族、友人、そしてもちろんお檀家さん。何十人にも法号を授与し、引導を渡し、遺族に「本願念仏」と「極楽往生」を説いてきた。私は僧侶になったのか、僧侶にならされたのか。そんなこと、今はどうでもいい。とにかく、今の私は、浄土宗僧侶以外の何者でもない。
わが町に、わずか十九床のホスピスがある。総合内科の診療もするが、主に末期の患者さんを受け入れる終末医療の現場だ。院長の徳永進先生の言葉。
「臨床で働き続けていて気が付くことがある。
人々は悲しみの波に出会っても、必ずしも波に呑み込まれたり、波に打ち上げられて消滅してしまう、とは限らない」
「死」はいつか必ず、平等に皆にやってくる。誰にも逃れられない、命の現実。先生は、ご自身の考える理想の死に方を患者に押しつけることなど、決してしない。死に向かって歩み行く患者にそっと寄り添って、一緒に死に方を考えている。治さない医者。本来なら、私たちがするべき仕事。
貧困は政治家に、火事は消防署に、泥棒は警察に。誰もお坊さんにスープを配ってもらおうなんて、期待していない。浄土宗の坊主は、堂々と「往生」を説くべし。本願念仏を説くべし。葬式仏教の何がいけない?法然上人は、病人や貧困者を救いに街を走り回ったりされなかった。ましてや、プラカード掲げて「戦争反対!」なんて叫んでもない。だって、それが穢土のこの世じゃないか。平安も、平成も。法然上人は、ただひたすらに念仏往生を説かれた。そのおかげで、君のお婆ちゃんも西方極楽浄土に往生できた。だから、私もこれからずっと、自分のお寺でお念仏するのである。我が身の往生の、その朝まで。
南無阿弥陀仏
2012年11月12日
鳥取県鳥取市 本願寺 谷本直哉