此岸と彼岸

此岸(しがん)とは、私たちの住む娑婆世界のことで、ここは生死輪廻の迷いに満ちた世界です。
それに対し、彼岸(ひがん)とは輪廻から解放された世界のことで、ここには無数の浄土があります。

無数にある浄土の一つが、阿弥陀佛の「極楽浄土」です。
お念仏を称える目的は、極楽浄土へ往生するためであり、極楽へ往生する目的は、成佛のためです。

生死輪廻の迷いを抜け出して、極楽浄土に往生して、その後に成佛を目指す。という順番が絶対なので、浄土宗では、「極楽に帰る」という表現を用いることを不可と定めています。

生死輪廻を繰り返してきた私たちにとって、極楽浄土は帰るところではなく、初めていくところです。

佛教とは、いかにして生死輪廻から抜け出すか、という教えです。

私たちは、はるか昔の過去世から現世にいたるまで、何度も何度も生死輪廻を繰り返してきた身であり、佛さまの目から見たならば、前世は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人のいずれかの世界にいたことが確実です。

そして、これからの未来も輪廻し続ける、という苦しみから逃れるために、「南無阿弥陀佛」とお称えします。

「南無」は「助けて」という意味で、「生死輪廻する苦しみから抜け出るには、もう阿弥陀佛のお名前を称えるしかない。阿弥陀さま、どうか極楽浄土にお助けください」

という切実な願いがお念佛です。

私たちは、煩悩を断ち切れず、罪を造らざるを得ない存在です。
そのために今まで延々と生死輪廻を繰り返してきました。
だからこそ、「助けてください阿弥陀さま」の思いで「南無阿弥陀佛」と称えて、今度こそは此岸から抜け出して彼岸へと救っていただきましょう。

南無阿弥陀佛

2012年09月18日
秋田県秋田市 誓願寺中 小熊良和