再会を夢見て~倶会一処~

お盆も終わりですね。お盆には家族親戚集まって、みんなでお仏壇の前に座り、手を合わせる。そういった光景も、だんだん少なくなってきたのではないでしょうか?亡くなったご先祖様をお迎えし、共に過ごす。これが、現在の日本の「お盆」の姿です。極楽浄土にいらっしゃるご先祖様に、「おじいちゃんどうしてるかなぁ。」「おばあちゃんに会いたいなぁ。」と思いを寄せ、手を合わせて、お念仏しましょう。

私どもがよりどころといたします、「浄土三部経」。その中の一つ、「仏説阿弥陀経」というお経の中に、「倶会一処」という言葉が出てきます。文字通り、倶(とも)に一処にて会う、つまり、浄土での再会を表す言葉です。ありがたい教えです。一緒に遊んでくれたおじいちゃんとも、優しかったおばあちゃんとも、極楽浄土でまた再会できるのです。

法然上人のお歌に

『露の身は ここかしこにて 消えぬとも 心は同じ 花のうてなぞ』

とあります。人の命は、草葉に結んでは消える朝露のようなはかないものです。たとえ互いの身が何時、何処で、どちらが先に果てようとも、共に極楽浄土の蓮の台で又お会い出来るのですよ。というお歌です。
この世での別れが来ても、きっと極楽浄土で、また再び、必ず会えるのです。これが倶会一処の教えです。

以前、檀家の「あおいちゃん」という子供さんにこんなことを言われました。

「おばあちゃん、まんまんちゃんの所に行ったんやろう?今度いつ会えるん?会いたいなぁ。」

その時、あおいちゃんにこんな話をしました。

「そうやなぁ。おばあちゃんに会いたいなぁ。あそこのお仏壇の真ん中に、金色の仏様がおるやろう。あの仏様が、「あみださま」って言うねん。おばあちゃんは、あの「あみださま」の国でな、「あおいちゃんいい子にしてるかなぁ?元気にしてるかなぁ?」ってずっと見てくれてんねん。だから、あおいちゃんも、「あみださま」にお願いして、あみださまの国に行ったら、またおばあちゃんに会えるで。ナムアミダブ、ナムアミダブってお願いしとき。」

「そうなんや、わかった。ナムアミダブ、おばあちゃんに会えますように。」


この世に生を受けたものは必ず「死」を迎えます。そしてそこには、「別れ」があります。寂しい、悲しい、辛い、愛別離苦です。しかし、その別れは、この世での一時の別れ。必ず阿弥陀様のもと、蓮の花の上で再会できるのです。
大好きだったおばあちゃんに、最愛の妻に、幼くして亡くなったあの子に、必ず極楽浄土で再会できることを胸に、しっかりお念仏に励んでいきましょう。あおいちゃんの様に「ナムアミダブ、ナムアミダブ、・・・・・・」と。

お盆のこの時期、ご先祖様に思いを寄せて、再会を夢見て、南無阿弥陀仏。

2012年08月18日
兵庫県神戸市 法泉寺 市野正道