法然上人のお姿を拝して

 去る12月25日、京都の総本山知恩院へとお参りする機会を得ました。目的は、御身拭い式(おみぬぐいしき)ならびに御遷座式(ごせんざしき)へ参列させていただくことでした。

 この日の京都は非常に寒く、山々の頂はうっすらと雪化粧していました。到着して直ぐに御影堂(みえいどう)にあがり、たくさんの参詣者とご一緒に下陣に座り、法然上人の御影がきれいに拭われる間、一生懸命お念佛をお称えいたしました。
 引き続き行われた御遷座式では、ご本尊である法然上人御影が御影堂よりお出ましになり、ゆっくりと集会堂(しゅうえどう)へお移りになりました。そのとき有り難いことに、まさに目の前で法然上人の御影を拝ませていただくことができました。法然上人を勢至菩薩の化身としていただく私たちは自然と頭が下がりました。800年前にこの地で往生された法然上人が、私たち念佛者一人ひとりを優しい目でご覧になっておいででした。この日は私にとって生涯忘れられない、充実した一日となりました。

 法然上人の御影は、ほこりを落とされ綺麗なお姿となられました。一方私たち自身を振り返ってみるといかがでしょうか。佛教の道理は、善いことをすれば善い結果(=報い)を、悪いことをすれば、悪い結果をもたらします。だからこそ「悪いことは止めよう 良いことをしよう」というのが仏教なのです。ところが日々の生活の中で、自分中心の心で様々な罪を作っているのが我々です。このまま行けば輪廻という恐ろしい報いを、私自身が後の世に必ず受けなければならないのです。そこに阿弥陀様の救いがあるのです。

 『雪のうちに 仏の御名を 称うれば 積もれる罪ぞ やがて消えぬる』

 「雪が降り積もるように私たちも日々罪を重ねていますが、南無阿弥陀佛とお称えすれば、私たちが過去に犯してきた罪の報いが、命尽きる間際にたちどころに消え、極楽浄土に往生することができるのです」

 このお歌は、法然上人のお歌であり、私が好きな歌の一つでもあります。阿弥陀さまの目から見れば、私という存在は知ってか知らずか罪を重ねること、数を知るべからずです。そんな私でも南無阿弥陀佛(助けたまえ阿弥陀佛)とお称えすれば、再び迷い苦しみの世界へ生まれ変わることはないのです。「南無阿弥陀佛と称えれば、今生を限りとして、後の世は極楽浄土というこの上ない世界へ必ず往生させる」という阿弥陀様の本願を法然上人がお示しくださっているのです。

 年は改まりましたが、私たち自身がこの瞬間にも罪を重ねていく存在であることには、変わりがありません。だからこそ『出来るだけ「悪いことを止め 良いことをする」ように常に心掛けながらも、南無阿弥陀佛とお念佛を称える生活を送る』ことを強くお勧めいたします。これこそが、お仏壇におまつりしている仏さまや法然上人が喜んで下さる生き方であり、正しい生き方なのです。

 年頭にあたり、「正しい生き方をすること」を仏様や法然上人に共にお誓い申し上げましょう。

南無阿弥陀佛

2012年01月01日
兵庫教区浄土宗青年会 東福寺 谷口文洋