おくるひとびと

 10月初旬に父方の祖母を見送り、改めて私たちひとりひとりが「おくりびと」であることを実感することができました。

 ふるさと新潟を離れて18年、帰省する度に小さくなっていく田舎の町並みと実家の造りに流れゆく月日を感じつつ、病院から戻ってきたばかりの物言わぬ祖母の枕辺に坐りました。
 共働きの両親に代り、保育園から小・中学校を終えるまで、何くれとなく私たち兄弟の世話を焼いてくれた祖母。思い返せば孫の強みでわがまま放題をぶつけて、困らせたことばかりが浮かんできます。
 そうした思い出の中で、ずっと心の片隅に引っかかっていた場面があります。

 お寺の生まれではない私が、会社勤めを辞めて東京のお寺に弟子入りしていたある夏、久しぶりのお休みを実家で過ごしていました。風呂上がり茶の間で祖母とテレビを見ていると、不意に祖母が趣味の手芸の手を止め、

「にいちゃん(=私のこと)、死んだら極楽へ行けるんかな?」

 ポツリとこう訊いてきます。

 お寺の法務をお手伝いしながら、大正大学に入り直して浄土のみ教えを学んでいましたが、祖母の前でわがままな孫に戻っていた自分には、確信と説得力をもって言ってあげることができませんでした。

「そうだよ、その通りだよ。お念佛をいつもいつもお称えして、極楽往生を願えば、息を引き取るその間際に、先に逝ったじいさんやご先祖様たちが、阿弥陀様と一緒になって必ず必ず迎えに来てくれるんだよ。」

と・・・。

 会話は曖昧なまま流れ、そのことを心のしこりに残したまま、私はまた東京の生活に戻りました。以後、祖母はみるみるうちに足腰が衰え、何度かの入院を経て、介護施設にお世話になる暮らしとなりました。
 寝たきりになり、見舞いに行って言葉をかけても返事をすることの出来なくなったまま5年、91歳の人生を閉じた祖母。終の棲家に戻り、葬儀社スタッフの手によって身を清められ死化粧を施される様子を、映画『おくりびと』に重ねながらお念佛を称えて見守りました。

 これまでの私でしたら、祖母に、お念佛に深く親しむ機会を与えられなかった不甲斐なさを心から悔やんで、取り返しのつかない自己嫌悪に陥っていたことでしょう。

 しかし、ある畏友の助言により、

「亡き人のために念仏を回向しさえすれば、阿弥陀様が光を放って、単にその方の苦しみを和らげるだけでなく、必ず極楽浄土へと救ってくださることが出来る」

との明確な論証に改めて出会うことができ、心から祖母の往生を願って念佛回向を申すことができました。

 通夜・葬儀はセレモニーホールを借りて、浄土宗寺院のご住職が導師を勤めて下さり、私も陪席を許していただき、胸を張って親族共々念佛回向を捧げました。必ずや阿弥陀様の御光に包まれてお浄土へと迎え取って頂き、やがては遅れて参る私たち家族を迎えに来てくれることを願いながら・・・。

 念佛者である私たちが念佛を「贈る」人となれば、
 その誰もが、亡き人の死を尊いものとする最高の「送り」人となり、
 さらに私たち自身も、先立たれた方々が悦んで迎えて下さるお浄土へ「遅る」(遅れて参る)人となるのです。

    先立たば おくるるひとを 待ちやせん
               はなのうてなの なかばのこして
                   (法然上人 蓮のうてなの御詠歌)


南無阿弥陀佛

2011年11月16日
長野教区浄土宗青年会 心光寺 渋谷康悦