失敗から学ぶ

二度と苦しみ迷わないように

 人生において、何度か決断を迫られる場面に遭うこともあるだろう。時には右を選ぶのか左を選ぶのかによってこれからの生き方が大きく変わるという、重大な局面に遭うことだってあるかも知れない。そんな時に正しい判断ができれば言うことはない。
 神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏は、正しい判断をする人は今まで常に正しい判断をしてきたのではなく、そのような“万事休す”の状態にならないように振る舞ってきたのだという。
 つまり決断を迫られるようなピンチに出くわさないためには、ピンチに出くわさないという一点に普段から身を砕くことが重要で、それを実行できる人が、重大な局面で判断を誤らない人となるというのである。失敗は誰でも犯すけれど失敗から学び、ピンチに陥らないように振る舞うことが大切なのである。

 『無量寿経』というお経にこのように説かれている。

 「善いことをしてこなかった人は、念佛の教えと出会うことはできない。前世に善いことをしてきた人が念佛の教えを聞くことができる。そして、かつて佛さまと出会ったことがあれば、念佛の教えを信じることができる。」

 私たちの人としての命は数十年で終わるが、佛教では人として生まれる前に何度も生まれ変わり死に変わりを繰り返してきた結果今がある、と説く。しかもずっと人として生まれて来たのではなく、時には地獄や餓鬼といった苦の世界を経巡ってきたというのだ。これを輪廻という。苦の世界を輪廻した末、何とか今人間として生まれてきたのである。しかしまだ迷いの世界の中にいることには変わりはない。
 苦の世界を輪廻する呪縛から脱出するのが佛教の目的である。

 そんな迷いのまっただ中にいる私たちが今、人として生を受け、お念佛の教えと出会うことができたのは、記憶にはないが前世で相当善いことをしてきたからだという。そして何と、お念佛の教えを信じることができるのは、前世に佛さまと逢ったことがあるからだというのだ。しかしその時は、せっかく佛さまに逢いながら、それでも佛さまの教えを信じることができなかったのであろう。だから未だに迷いの世界を彷徨っているわけだ。

 阿弥陀佛という佛さまは、「苦から逃れたい」と願うすべての人を救うために、苦のない幸せばかりの世界、極楽浄土をおつくりくださった。極楽浄土にすべての人を迎え入れるために、すべての人ができる行を用意してくださった。
 「難しい修行はできないであろう。でも私の名前なら呼べるであろう。私の名前に最高の功徳を収めておいたからわが名を呼べよ。必ず救ってやるから。」と約束してくださったのである。
 わが名を呼べと言ってくださっているのだから、私たちは「南無阿弥陀佛」と阿弥陀さまの名前を呼べばいい。

 「南無」とは「助けて!」。「阿弥陀さま助けて!」というのが「南無阿弥陀佛」のお念佛なのである。

 私たちは憶えていないけれども、かつて佛さまと逢いながら、その教えを信じることができず、迷い続けてきたのである。私たちはかつて大失敗をしているのだ。だからもう同じ失敗を繰り返してはならない。

 この先必ずいつか来るであろう“人生のピンチ”において“万事休す”とならないために、阿弥陀さまがご用意くださった「お念佛」を手放すことなく称え続けていきたい。そしてこのたびこそ間違いなく苦から逃れ、幸せの世界、極楽浄土へ往き生まれたいものである。

 全国の浄土宗寺院では、毎年秋に「十夜(じゅうや)」という法要が行われる。この「十夜」は、阿弥陀さまが苦から逃れたいすべての人を救うために、南無阿弥陀佛という誰にでもできる行の中に最高の功徳を収めてくださった、そのことに心より感謝し、より一層お念佛を称えよう、という法要である。

 感謝しても感謝し尽くすことはできない。なぜなら阿弥陀さまがおられなかったら、私たちが苦の世界を輪廻する呪縛から脱出する道は残されていないのだから。

南無阿弥陀佛

2011年11月01日
兵庫教区浄土宗青年会 法輪寺 北村隆彦