阿弥陀佛 去此不遠(こしふおん)
10月は昔の暦で「神無月」と申します。これは年に1度、八百万の神々が出雲大社にお出かけになり、諸国の神社が留守になるということからこう名付けられたといわれています。
それでは佛様はどうでしょうか?
佛様がお留守になる「佛無月」はありませんね。
阿弥陀様という佛様は、いつでも極楽浄土から、私達のお念佛の声を探して下さり、見守って下さり、心を通わせて下さる佛様でございます。
「阿弥陀佛ここを去ること遠からず」
このお言葉はお釈迦様がお説き下さった『佛説観無量寿経』に出てまいります。
このお経様と同様に、浄土宗で大切にしております『佛説阿弥陀経』には、「これより西方十万億の佛土を過ぎて世界あり、名付けて極楽という。その土に佛まします。阿弥陀と号したてまつる。」と説かれています。つまり「私達のいるこの娑婆世界から西のかなた、十万億の佛様の世界を過ぎた先に、阿弥陀様という佛様がお造り下さった世界、極楽浄土があるのですよ」ということです。
皆さん、阿弥陀様は随分遠い所にいらっしゃるんだな、と思いませんか?
しかしそうではありません。この世界でお念佛のご縁をいただく私達と、極楽浄土の阿弥陀様とは、決して遠く離ればなれではありません。親しい関係で結ばれているのです。そのお言葉が、「阿弥陀佛ここを去ること遠からず」という『観無量寿経』の一文です。
この秋の時期といいますのは、とりわけお月さまが綺麗に見える季節ですね。
元祖法然上人は、阿弥陀様とお念佛を称える私達との関係を、月と水に譬えて下さっています。月を、遙か西の彼方にある極楽浄土の主である阿弥陀様に譬え、水はお念佛を称える私達に譬えておられます。
月夜の晩に、私達が器に一杯の水を汲んで外に出てみるとどうでしょう?
空から月が降りて来たわけでもなく、また水が月を捕まえて来たわけでもありませんが、手元の器にちゃんと綺麗にお月さまが浮かんでいますね。
月まで何万キロ離れていようとも、この私がどんな人間であっても、たとえ私が汚れた欠け損じの器であっても、水さえ入っていれば、身近にお月さまを感じることができます。同じように私達のお念佛の一声で、阿弥陀様は十万億の世界を一瞬で飛び越えて、私達と心を通わせて下さる佛様です。
「阿弥陀佛ここを去ること遠からず」
この境地は、私達にはなかなか達することはできませんけれども、私たち人間の勝手な計らいで阿弥陀様を遠ざけてはなりません。阿弥陀様はいつでも私達のお念佛の一声を待っていて下さっています。私達のもとにおいで下さる準備万端ととのえ、一歩御足を前に出して・・・。
南無阿弥陀佛
2011年10月16日
三河教区浄土宗青年会 専願寺 山田真聖