生きる指針

 梅雨明けが近づき、いよいよ本格的な夏の到来です。私はこの季節の夕日が大好きです。朱色に力強く輝く太陽を見ていると何故か勇気が湧くような、また一方では切ない気持ちにもなります。
 そして色々なことを振り返り想うのです。先立たれたあの方も太陽の沈む西の彼方、極楽浄土にいらっしゃるのだと。

 『若いとて末をはるかに思うなよ 無常の風は時をきらはじ』

そのことを改めて実感する出来事がありました。

 私には2歳年下で、在家の女性の友人がいます。大学時分に出会ったその友人は、京都の大学で佛教の文化や歴史を学んでいて、佛法を信仰しているという共通点があり親しくなりました。
 吉野にある自坊へきて住職に佛教に対する質問をしたり、私と一緒に法話を聞きに行ったりする事も度々ありました。そして、その友人から今年1月2日に携帯電話にメールが一通届きました。

「弟が急死しました。23歳でした。弟は佛様と周りの皆様のおかげでしっかり送ってやれたと思います。優しい子だったので心配していないけれど…、自分自身が複雑な気持ちで…。やはり人間ですね。あなたに会ってお話をしたいので時間を作ってもらえませんか?」

という内容でした。

翌日友人に会い、直接お話を聞きました。

「何かもっと弟にしてやれることがあったのではないかと自分を責めています。
信仰のある家庭に育ったおかげか、弟の顔があまりに安らかで清らかで、悲しい反面、確かに救われていった感じがして、とても不思議でした。
 お葬式の後に見た夕日は、今まで見たことのない位美しくて、西の彼方、阿弥陀様のところへ救われていったと思わずにはいられませんでした。
 私は結婚して、家に立派な佛壇はないけれど、手作りの小さな佛壇があるので毎日そこで手を合わせ、お念佛をして、弟の戒名を読んでいます。
 でも、弟にもっと出来ることはないか、と今日はそれを教えてほしかったんです。」

 友人に対して、私はこのように答えました。

「先立たれた方に対して、今となって我々ができることは追善回向のお念佛です。だから今あなたがしている事をどうか続けて下さい。お念佛には二つの目的があるのです。
 ひとつは、自分自身が極楽浄土へと救いとっていただくためのお念佛。
 もうひとつは先立たれた大切な方を、どうか阿弥陀様、極楽へと救いとって下さいという思いで称える、追善回向のお念佛です。
 回向された方には、阿弥陀様が光明を照らして下さり、導きお救い下さるとお経に説かれています。残された方には後悔もあるでしょう。でも誰も責めることはできません。
 今回のことをきっかけとして、あなたと阿弥陀様のご縁を深めてもらうことが、弟さんが何より喜んで下さることなのです。」

 すると友人は、

「形を超えて伝わってくる、それが信仰であり、お念佛なんだと思いました。数えきれない御縁に導かれながら私も精進させて頂きます。かけがえのない日々、ただそれだけで好日です。」

 弟さんが亡くなられてわずか一週間後でしたが、友人は本当に落ち着いていました。長女である友人はご両親を気遣い支えながら、また友人夫妻共にお佛壇に手を合わせ、「南無阿弥陀佛」とお称えし、励ましあっている様子でした。

 信仰はお年寄りがするものだと思われがちですが、まさかの時は年齢に関係なく訪れてきます。一日でも早くお念佛信仰に目覚めてゆくことが大切です。
 突然訪れた不幸をも、真正面から正しく受け止め乗り越えていく姿。これこそが信仰のある生き方であり、大切な人生の指針となるのだと思いました。

 どうぞ共々にお念佛に励んでまいりましょう。

南無阿弥陀佛

2011年07月16日
奈良教区浄土宗青年会 西迎院 中村祐華