大切な方とまた会える
3月11日の東日本大震災で、多くの方々が突如としてこの世を去られました。そこには報道などでは分からないそれぞれの辛い別れがあったかと思います。もちろん人の情として大切な方との別れが、辛く寂しいことは言うまでもございません。しかし、私共浄土宗が拠り所としております経典(浄土三部経)には「阿弥陀佛という佛様がいらっしゃって、西方極楽浄土という清らかな世界を構えておってくださる。そして南無阿弥陀佛とお念佛を申して阿弥陀様にすがっていく者は、この世の勤め終えた後に必ずその素晴らしい世界に生まれさせて頂く事が出来る。」と説き示されています。極楽浄土で「大切なあの方と再会をさせていただく事ができる。」この教えを信じる事が、必ず大きな心の支えとなり、生きる力となってまいります。
私が僧侶となって間もない頃、ある一人の奥様が39才の若さで突然お亡くなりになられました。前日までは普通に生活をされていましたが、朝、ご家族の方が気付かれた時には布団の中で既に冷たくなっておられました。
この時このお宅には、小学六年生の男の子と、小学四年生の女の子がおられました。突然のお母さんとの別れ。二人の子供達は激しく泣いておりました。私も僧侶として情けない事ですが、あまりの悲しみように子供達になんと声を掛ければ良いのか分かりませんでした。
しかしお通夜の時、「やはりこれだけはお伝えしなければ」と考えを改め、お勤めの後このようなお話を致しました。
「悲しいだろう。辛いだろう。でもね、お母さんは佛様の国に行ったんだよ。今となってはお母さんの為に直接何かをして差し上げる事はもはや出来ないけれど、たった一つだけ私達が出来る事。それが南無阿弥陀佛のお念佛なんだよ。
お経様の中には阿弥陀様が『我が名を呼ぶ者は、すなわちお念佛をお称えする者は、必ず私の清らかな世界西方極楽浄土に救い取るぞ』とお誓いを下さっています。ここから先は人の力の及ばぬ所。阿弥陀様の救いを信じて、『阿弥陀様どうぞお母さんの事を宜しくお願い致します。』その心持ちで明日のお葬儀は共々に南無阿弥陀佛の声の中、お母さんのお見送りをしてください。」
その翌日のお葬儀の時、私は今でも忘れません。この小さなこども達が亡くなられたお母さんの為に大きな声で「南無阿弥陀佛」とお念佛を称えてくださったのです。その声は私達僧侶の読経の声に負けないくらいの大きな声でした。こども達だけではありません。ご主人が、ご親戚が、弔問の方々が、そのこども達の声に導かれるように大きな声でお念佛を称えてくださいました。私は背中越しにそのお念佛の声を尊く聞かせていただきました。
現在、この二人のこども達も大きくなり、お兄ちゃんは社会人、お姉ちゃんは大学生となりましたが、今でも熱心にお寺参りをしてくださいます。お母さんが亡くなられてからしばらくの間は、あまり元気が有りませんでした。
しかし今では、明るさを取り戻され、
「きっとお母さんは、今もなお佛様の世界から、私達の事を見守っていてくれる。そしていずれ私がこの世の勤めを終えた時には、必ず阿弥陀様の西方極楽浄土でお母さんと再会させて頂く事が出来る。」
このことを深く深く信じて、前向きな信仰をもってお念佛を称えてくださっています。
人の情として、この世の別れが辛く、寂しい事に変わりはございませんが、大切な方と又会える世界があるという事が、何よりの大きな心の支え、生きる力となってまいります。
本年は浄土宗宗祖法然上人800年大遠忌の年に当たります。科学万能の現代ではありますが、法然上人がお釈迦様の膨大な御教えから見つけ出してくださった「お念佛」の御教えを、どうぞ「信じ仰いで」(信仰)頂きまして、皆様方も「南無阿弥陀佛」とお称えされることを願います。
南無阿弥陀佛
2011年06月16日
福岡教区浄土宗青年会 全照寺 黒瀬寛雄