行者存念=念佛者の心がけ

 この度の東日本大震災でお亡くなりになられた方々にお念佛ご回向申し上げると共に、被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
また、私たちに今できる事を真摯に考え実行し、被災地の1日でも早い復興を念じてやみません。


 この度の震災で胸を突かれた新聞記事がたくさんあった。
岩手県宮古市、昆愛海(こん まなみ)ちゃん(4)は両親と妹が津波にさらわれた。親戚の家に身を寄せた愛海ちゃんは、こたつの上にノートをひろげ、母親に手紙を書きはじめたという。「ままへ。いきてるといいね。おげんきですか。」1文字ずつ、色鉛筆で1時間ほどかけて書いたといい、そこまで書いて疲れたのだろう。ノートを枕にすやすや眠る、あどけない寝顔の写真が載っている。(読売新聞 編集手帳より)

 新聞に記載されたお亡くなりになった方々の年齢を見てみると4歳、87歳、40歳、26歳、0歳、37歳。決して歳の順番ではない。

 佛教をお開き下さったお釈迦様は、この世が極楽浄土であるとか天国だとはおっしゃらなかった。この世は「無常」とおっしゃった。無常とは、この世のすべては移ろい、そして消え去るということだ。ずっと変わらないものは何一つない。この世には、絶対に壊れないものは何一つない。今回の地震のように急激に変わる場合もあるし長い時間かけてゆっくり変わっていくこともある。いずれにしても変わっていく。消え去っていく。佛教の大原則である。
 私たちの死亡率は100%である。また、それがいつ、どこで、どんな形で自分に訪れるかはわからない。どんな者にも避けられない最大の苦しみこそが「自分の死」である。

 そんな私どもを「無常」ではない世界、迷いのない世界に救ってくれるのが阿弥陀佛である、とお釈迦様はお説きくだされた。
 いつでも、どこでも、誰でも、どんな時にでも「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛」とお念佛をお称えすれば、この世での時間が終わる時、必ず誰一人として洩らさず、阿弥陀佛がご来迎(らいこう)くださり、極楽浄土に往生させてくださる。そこでこの私を佛様になるまでお育てくださる。これが阿弥陀佛の本願である。

 アメリカの宗教学者であるカールベッカー氏は著書で、世界で一番死を恐れているのが現代日本人なのではないか。無論、戦前はそのようなことはなかった、けれども今は一番恐れているという。その理由として、来世に対する信仰が薄くなったことと不可分ではないだろうと指摘されている。

 「ある時には世間の無常なる事を思いてこの世の幾程なき事を知れ。
ある時には佛の本願を思いて『必ず迎え給え』と申せ」

(現代語訳)
 「ある時には、世間が無常であることを思って、この人生がさほど長くないことをわきまえなさい。またある時には、阿弥陀佛の本願を思って『必ず極楽浄土へお迎え下さい』と口に出しなさい」
 浄土宗をお開き下さった法然上人が「念佛の修行をする者」の心がけとしてお示しされたお言葉である。

 いつ訪れるかわからない自分自身の死。阿弥陀佛の本願を素直に信じ、日々の生活において、しっかりお念佛をお称えし無常の世を生きてゆきたい。

「あなたは自分自身の『死』について真剣に考えた事がありますか?」

至心合掌 南無阿弥陀佛

2011年06月01日
滋賀教区浄土宗青年会 教善寺 橋本篤典