いつでもどこでも『なむあみだぶつ』

 今から約2,500年前、お釈迦さまという佛さまは人間の世界は「苦しみ」の世界であるとお説き下さいました。
 命を受けたものは老い、病み、最後は死ぬという究極の苦しみから逃げることはできません。人生最後死を迎えるのですが、死んだ後は、いったいどこへ行くのかを真剣に考えたことがあるでしょうか。

 お釈迦さまは、生まれては死に、生れては死にを繰り返す六道輪廻(ろくどうりんね)の中の1つに、人間世界があると教えて下さっています。
 私たちは、自分の利益、都合を第一に考えて、物事を判断して行動しています。
 欲しいものはどうしても手に入れたいと思うし、思い通りにならないと腹立ちの心を起こします。それによって、体で行ってしまう罪、口で言ってしまう罪、心で思ってしまう罪を作っています。自らの罪に気づかない人もいます。自らが作ってしまった罪によって、私たちの来世は六道輪廻の中、人間世界よりもひどい地獄・餓鬼・畜生のいずれかに生まれてしまいます。

 そういう私たちをあわれんでお救い下さるのが、極楽浄土にいらっしゃる阿弥陀さまという佛さまです。阿弥陀さまは、「私の名前を称えるものは、六道輪廻することなく誰でも必ず極楽浄土へ往生させるぞ」と誓い、その誓いを成就された佛さまです。
 この人間の世が終わったならば、また恐ろしい世界に堕ちるのではなくて、今度こそは、この生き死にを繰り返す世界を離れるために、「助けて下さい、なむあみだぶつ」と称えるのです。
 「なむあみだぶつと称えるものを見捨てず、迎えに来るぞ」という阿弥陀さまの約束は、私の「死」に対して絶対の安心感を与えて下さいます。私は、命あるかぎり念佛精進して人生を歩みたいです。

 3月11日に東日本大震災がありました。
津波で家が流された方々、ご家族を亡くされた方々の悲しみは計り知れません。亡くなった人の中には、阿弥陀さまの約束を信じ、念佛生活を送り往生なさった方もいたでしょう。四十九日を過ぎた今、極楽の蓮の台でたくさんの佛さま、菩薩さま、ご先祖さまと出会って、この世で生きる私たちをご覧になっています。

 私の家の近所に住む80代の女性は、

「和尚さん、私はこんな足腰だから津波がきたら、とても走ることはできない。『なむあみだぶつ』1遍しかできないかもしれないが、称えることで阿弥陀様に極楽へ救い取ってもらえるならこれほど安心なことはない。」

と仰っておられました。
 その方の友人も「わたしもおんなじ」と仰って下さいました。 
 私も同じ考えです。口々に『なむあみだぶつ』をして、阿弥陀さまの救いを喜びました。

 念佛を称えて、この世を離れることは、「かわいそう」でも「不幸」でもありません。
 自然災害は、いつどこで起こるかは分かりません。
 どこに逃げても絶対安全な場所なんてありません。
 皆さん、普段からお念佛を称えて、いつどこで死ぬことになっても、地震で亡くなることになっても、阿弥陀佛、観音菩薩、勢至菩薩、たくさんの菩薩さまのお迎えをいただき、ご先祖さまもいらっしゃる西方極楽浄土の蓮の台(うてな)で、必ず逢いましょう。

 私はこれから先、病院、介護施設、どこに住むことになっても『なむあみだぶつ』を心の支えとして生きて往く決意を新たにしています。
 今年は、お念佛の元祖さまである法然上人の800回忌です。
 今、元気な時に、正しく法然上人の教えを学び、悪いことはしないように心がけ、この厳しい世を渡って生きましょう。

いつでもどこでも「なむあみだぶつ」

2011年05月16日
青森教区浄土宗青年会 正明寺 片山徳崇