その身そのままで・・・
東日本大震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。今回の震災で、家族を失いすべての財産を失った沢山の方々には、かける言葉も見つかりません。茨城県に住む私の家族、親戚、友人も多くが被災し、今も不自由な生活を強いられています。
そして被災地では今それぞれの方が「自分にできること」「自分にしかできないこと」を考え行動していると報じられていました。
・「自分にできること」
被災地の為に私に何が出来るかと考えた時、「自分にできること」は募金活動をして義捐金を募り、復興の支援をすることでした。実際街頭に立つと沢山の方々が賛同してくださいました。本当に有難いことだと感じました。しかし支援は一回きりで済むというものではありません。「自分にできること」を続ける、ということが大切です。
・「自分にしかできないこと」
それは、佛教をお伝えする、という僧侶にとっての使命です。人々の「不安」「苦しみ」を乗り越えるみ教えとして、釈尊は佛教を開かれました。この信仰を伝えることが、我々僧侶にしか出来ないことです。
佛教をお説きくださった釈尊は、この世は「無常」だとお示しくださっています。すべての事は常に変化していて留まっていることはない、ということです。例えば、形ある物は必ず壊れ、命ある者は必ず死に、愛する者とは必ず別れなければなりません。これが「無常」です。
私たちは「無常」の現実の中に生きていながら、いつまでも生き続けたい、愛する者といつまでも一緒にいたいという「欲望」を持ってしまうのです。
しかし残念ながら「無常の現実」を私たちの力ではどうすることも出来ません。本当に無力なのです。それでも「どうにかならないだろうか」と悩み苦しみます。佛教では思い通りにならないことを「苦」と言います。
震災で被災された方々は、突然この現実を突きつけられ本当に耐え難い「苦」の日々を送られていることと思います。
自然の猛威の前ではどうすることもできず、成すすべもありません。自分自身ではどうすることもできないことに直面した時、うろたえ、不安で夜も眠れなくなるのは誰でもありうることだと思います。そんな私たちが、がんばらなくてもいい、あせらなくてもいい、その身そのままでいい、というのがお念佛のみ教えなのです。
露の身は、ここかしこにて、きえぬとも、
こころはおなじ、花のうてなぞ
作 法然上人
法然上人は、
「はかない朝露のようなこの身が、あちらこちらで亡くなってしまっても、心は同じ蓮の台(うてな)の上、つまり必ず極楽浄土で再会できるのです」とお示しくださっています。
この無常の世では、生まれるものは必ず亡くなり、会うものは必ず離れる定めにあります。この世で離れ離れになっても、お念佛の信仰を持っている者同士は、必ず極楽浄土で再会が果たせます。極楽とは読んで字のごとく「極めて楽しい」、つまり思い通りにならない苦しみが全くない場所なのです。
「あの時の別れは、一時のことで、春の夜の夢のようなものだったなぁ」と振り返ることの出来る極楽浄土があるのです。
「我が名を称えるものは必ず救うぞ」という阿弥陀さまのお誓いを信じ、その身そのままで「助けてください阿弥陀さま」と心をこめて「南無阿弥陀佛」とお称えさえすればいいのです。そうすればどんな方であっても漏れなく救いとっていただけるというのが、お念佛のみ教えなのです。
被災地の方々が今もなお「苦」の日々を送られていると考えただけで、遠く離れた所に住んでいる私でさえ心が締め付けられます。
このお歌のように、極楽浄土での再会という希望を持ち、お念佛信仰を、今を生きる力にして欲しいと切に願っています。
南無阿弥陀佛
2011年04月17日
兵庫教区浄土宗青年会 法界寺 藤浦廣信