「亡き人のために念佛を迴向し候えば…」
3月11日、私は伊豆の海岸近くにある自坊(自分の住んでいる寺)に居ました。大きな揺れの後、大津波警報が発令されました。高台に上り、しばらく町と海岸を眺めていましたが、大きな地震・津波による被害はありませんでした。ところが寺へ戻り、テレビをつけた途端、言葉を失いました…東北の様子を観て、目を疑いました。その日の夜、テレビから目を離せず、寝ることができませんでした。12日、13日と日が経つにつれて、その悲惨な被災状況が明らかになり、多くの命が奪われ、人々の生活が一瞬にして奪われたことを知りました。それが現実であることを…ただただ悲しみで胸が一杯になりました。しかし、一方でそういった状況の中、不眠不休で人命救助にあたっている方々の存在や、耐え忍び、励ましあい支えあって生活をしている被災地の方々のお姿を知りました。
「いま私ができることはなんだろう。」
報道などを通じて被災地の状況を知った方々は、そのように思われたことと思います。言うまでもなく、多くの方々が、節電を心がけ、無闇な買占めを慎み、義捐金や救援物資の支援をされています。私のお寺でも、檀信徒の皆さまへ「義捐金や救援物資を被災地の方々へお送りさせて頂きたい」とお声がけをしましたところ、ご協力してくださった方々が多数おられました。今多くの人々の「願い」が被災地へ向けられています。
この「願い」は、今もなお援助を待っておられる方々の安全を心から願うだけではなく、お亡くなりになられた多くの方々へも向けられています。
仏教では、「自分の行った善による結果が、他にめぐらされ、転じて及ぶこと」を「廻し向ける」と書いて「廻向」(えこう)と言います。
法然上人は、お念佛の廻向についてこのようにお言葉を残されています。
「亡き人のために南無阿弥陀佛とお念佛を迴向すれば、阿弥陀さまが光 を放って、亡き人の苦しみをぬぐい去り、極楽浄土に導いてくださる。」
阿弥陀さまに、心の中では「どうか、お亡くなりになられた方々を安らかな極楽浄土へとお導き下さい」と念じ、口には「南無阿弥陀佛…」と申せば、阿弥陀さまが光を放って、お亡くなりになられた方々を必ずお救いくださる。なぜならば、そのように阿弥陀さまがお約束してくださっているからです。
「いま私ができること」として、3月21日のお彼岸の中日に、私のお寺の檀信徒の皆さまと共に、震災によりお亡くなりになられた方々の往生極楽を願い、お念佛をお唱え致しました。
私たちの「往生極楽を願い、お唱えする南無阿弥陀佛の声」は、阿弥陀さまのお力によって廻し向けられ、有縁、無縁の方々に必ず届くと信じています。
どうか皆様も自分自身の為に、未曾有の震災で亡くなられた方々の為に、それぞれの場所で、日々お念佛をお唱え致しましょう。
南無阿弥陀佛
2011年04月01日
静岡教区浄土宗青年会 海福寺 瀧沢行彦