無明を断ち切れない者は

 お釈迦さまは、苦の仕組みについて徹底的な追究をなさいました。そして、苦の根源には「無明(むみょう)」という欲があることを突き止めました。
さらには、完全な智慧を獲得すれば無明を断ち切ることができ、無明の滅によって苦しみから完全に解放される、つまり六道輪廻から抜け出られることを明らかにされました。

 「無明」とは、自分だけが心地よく生き続けたい、という根本的な生存欲のことをいいます。無明そのものを自覚するのはほぼ不可能であり、したがって理性で抑えることもできません。無明を断ち切れない者は、老・病・死などの事態によって自分の存在価値がなくなっていくのを何よりも恐れます。
 そのため、心地よさをひたすらに求める“むさぼり”の欲と、不快なことを徹底的に排除する“怒り”の欲とによって自らを保とうとします。そして、それらの欲に基づいた具体的な行いを進めていきます。

 例えば、普段は温厚な人が、触れてはならない事をズバッと指摘された途端に激昂する。これは、無明ゆえの怒りとそれに基づく具体的な行いといえます。
 このように、自らの存在価値を軽んずる相手に対しては、無意識のうちに排除しようとさえする。切羽詰まれば、してはならないことをして、言ってはならないことを言って、思ってはならないことを平気で思ってしまいます。

 無明に衝き動かされて心地よさを維持するための行いを重ねていく。また、完全な智慧が得られないので“むさぼり”と“怒り”でもって苦しみを回避しようとする。悪業の上にさらに悪業を重ねていき、それが原因で次の世も六道に生まれるという苦の結果をもたらす。次の世でもまた同じことを繰り返す。いつまでたっても苦しみの連鎖から抜け出ることができません。

 しかし、お釈迦さまは、無明を断ち切れない者にも救いが用意されていることを教えてくださいました。それが阿弥陀佛の本願である、「南無阿弥陀佛」と称えるお念佛の教えです。

 阿弥陀さまは、無明を断ち切れない凡夫が必然的に罪を造り続け、その結果、地獄、餓鬼、畜生の世界に堕ちていかねばならないことを深く悲しまれました。そして、永遠に輪廻し続ける、という最大の苦しみを取り除くために西方極楽浄土という世界を構えてくださいました。

 「こんな救われ難い自分を阿弥陀さまどうか助けて下さい、お願いします!」という思いで、本気でお念佛を称えたならば、命終の時に阿弥陀さま自らがお迎えにいらして、間違いなく西方極楽浄土まで導いてくださるのです。


すなわち、

お釈迦さまは
「阿弥陀さまの力を頼りに、極楽浄土への往生を目指せ」
と後押ししてくださる佛さま。
阿弥陀さまは
「お釈迦さまの仰せを信じて、私の名を呼べ」
と救いの手を差しのべておられる佛さま。


 お二人の尊い佛さまは、無明を断ち切れない者がお念佛を称えるのを、今か今かと心待ちにしておられます。
 六道にとどまり続ける行いはできるだけ慎みつつ、六道から出ていくための行い、すなわち「南無阿弥陀佛」と称えることを積極的に進めていきましょう。
南無阿弥陀佛

2011年03月01日
秋田教区浄土宗青年会 誓願寺 小熊良和