「人の身を受ける」ということ

 六道の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を輪廻する中で、人間界に生を受ける事が如何に難しいことか?

 お釈迦様は

 「例えば梵天より糸を下し、大海の底なる針の穴に通す如し」

とお説き下さいました。

 普通に考えたら、絶対に有り得ないこと。まさに「有ること難き=有難い」縁に恵まれて私達はこの度人の身を受ける事ができたのです。勿論これだけでも言葉には言い尽せない程有難いことです。しかし、人の身を受けた事の尊さはこれだけではまだ半分です。では何故、人の身を受けることが有難いのか?

 それは、「佛さまのみ教えに会える」からです。

 人間界以外の五つの世界では佛さまのみ教えには出会えません。人の身を受けてはじめて、佛さまのみ教えに出会うことができる。そして佛さまのみ教えによって「六道の世界を輪廻し、苦しみもがき続けている」という我が身の本当のあり様を知り、佛さまのみ教えを信じ、行じて、はじめて悩み苦しみ絶えない六道の世界を離れることができるのです。しかも、佛さまのみ教え数多くある中で、誰もが確実に六道の世界から必ず救われる只一つのみ教え。それが私たちのいただく「お念佛のみ教え」です。

 阿弥陀さまは「ナムアミダブツと我が名を呼ぶ者、漏らさず極楽へ救おう」とお約束下さっています。この阿弥陀さまの救いを信じて「ナムアミダブツ」と称えたならば誰もが必ずこの生涯を限りとして六道の世界を離れ、しかも「極楽」という最高のお浄土へ迎え取っていただけるのです。
 この「お念佛のみ教え」に出会うことができるのも、常識では考えられない程の尊いご縁に恵まれ、この度 人間の世界に生まれあわせることができたからに他なりません。だからこそ人の身を受けることは尊いのです。

 しかし、人間界に生を受けた尊いご縁を、私達は十分に活かしているでしょうか。

 テレビをつければ「食べる」番組が多く放映されています。しかも、ただ食べるだけでは飽き足らず、「デカ盛り」「メガ盛り」が大流行です。「食べ放題ツアー」はどこも満員御礼。大食いを競う番組も多くあります。何人分もあるような「デカ盛り」を大口開けてたいらげる姿は、食べても食べても飽き足らずむさぼり続ける「餓鬼」の姿を連想させます。また、「マグロの解体ショー」や生きている魚を切りさばく様子は、人が無残に切りきざまれる「地獄絵図」そのものではありませんか。たとえ自ら行わずとも、見て喜ぶことは実際に行うよりも重い罪となります。或いは、我が身が生き残る為、人を押しのけたり蹴落としたり…。その様子は、情け容赦ない弱肉強食の「畜生の姿」に他なりません。

 せっかく人として生を受けても、このような生き方だけで一生過ごしてしまったら、地獄や餓鬼や畜生の世界に生まれたのと何ら変りありません。そして息絶えた後には、自分自身が実際に恐ろしい世界に落ち行かねばならないのです。これでは人の身を受けた尊いご縁を棒にふるだけです。

 如何でしょうか?時に我が身に引き当て、共に反省したいものです。
 出来る限り欲をおさえ罪を造らぬように心がけ、同時に「我が名を呼ぶ者、必ず極楽へ救おう」と手をさしのべて下さっている阿弥陀さまの“みこころ”を信じて「ナムアミダブツ…」と怠りなくお念佛申し申し生涯を過ごす。
 これこそが、人の身を受けた尊いご縁を最大限に活かす生き方に他なりません。

 「速やかに出要を求めて、むなしく三途に帰ることなかれ」
(早く六道輪廻を離れることを求めて、むなしく地獄・餓鬼・畜生の世界へ帰ることのないように)

 この法然上人のお言葉をよくよく噛みしめ、お互いに悔いのない生涯を過ごさせていただきましょう。

南無阿弥陀佛

2011年02月15日
千葉教区浄土宗青年会 浄蓮寺 郡嶋泰威