阿弥陀様の救い

 皆様は、自分自身の死という事について考えたことがありますか?親しい大切な方が亡くなられた時に、死という事を受け止める事はあると思います。しかし、自分自身の事とはなかなか受け止められないのではないでしょうか。元気なうちは、死の事など考えようともしないかも知れません、しかし死の縁はどんな人にも平等です。しかも、何時如何なる時訪れるか分かりません。その事を忘れ日暮を送っている私達です。しかし、忘れていたとしても必ず死は訪れます。その時をどう迎えたら良いのでしょうか。
 私達は、臨終を迎える時何を思うのでしょうか?親子、兄弟、友人と別れるのが辛い。地位や財産への執着や自分自身の体を惜しむ心もあるでしょう。そして何より不安な事は、自分はこれから如何なってしまうのか、何処へ行くのかという事ではないでしょうか。

 阿弥陀様は、常に私達に「南無阿弥陀佛と我が名前を称えよ、必ず極楽浄土へ救う」と呼びかけ続けて下さっておられる佛様です。極楽浄土に生まれたいと真実に願い「南無阿弥陀佛」とお念佛をお称えさせて頂いたのならば、私達がこの世で命尽きようとするその時に、阿弥陀様自らお迎えに来て下さるのです。
 人はそんなに強くありません。死という現実に直面した時に、恐怖と苦しみに襲われる事でしょう、様々な執着の心が溢れてくる事でしょう。この弱い心の私達を阿弥陀様は全てご承知の上で、たちどころに極楽浄土よりお迎えに来て下さり、不安だらけの私達を、そのまましっかりと温もりのある両の手で抱きかかえて下さり、極楽浄土へと往生させて頂けるのです。

 私達は、遠い昔より六道輪廻の世界、迷い苦しみの世界を巡り続け、生まれ変わり死に変わりを繰り返し、今もその真只中に身を置いているのです。そして、この身このまま命尽きたならば、又六道輪廻の世界を巡り続けて行くしかない身の上なのです。遠い昔より今を経て遥か未来に至るまで、迷い苦しみの世界を抜け出せない私達を、何としてでも救う、救わずにおれないと大慈悲のみ心で佛様と成って下さったお方が、阿弥陀様です。そして、「我が名を称えよ、必ず救う」と、呼びかけて下さっておられるのです。
 お念佛を称える者を、一人残さず極楽浄土へ救うとお約束下さっておられるのです。何の苦しみも煩いも無い世界、阿弥陀様のお導きを頂き佛様と成らせて頂ける世界。この上ない清らかな世界へと往き生れさせて頂く事が叶うのです。

 死の縁は様々です。極楽浄土に往生させて頂くには、どの様に命を終えたのかでは無く、生きている間に何をしたのかで決まります。
「我が名を称えよ、必ず救う」の阿弥陀様のお言葉を信じて、「どうか助けて下さい」とお念佛称える日暮を送らせて頂くことこそ、苦しみの世界から救われる唯一の行いです。阿弥陀様のお救いを信じて、極楽浄土に往生したいと願い、共々に「南無阿弥陀佛」とお念佛を称える日暮を送らせて頂きましょう。

南無阿弥陀佛

2010年11月01日
浄土宗東京教区青年会 正源寺 山田紹隆