選択本願念佛との出会い

 私が小学3年生の時、父が亡くなった。父はお寺の住職であった。その後、祖父は住職に復職し、母は僧侶への道に進んだ。祖父は高齢であったため、母が修行に出るときは、お檀家さんが順番に来て下さり、泊まり込みで老僧と私達のお世話をして下さった。

 お寺というところは、住職がいなくなれば、次の住職を探さなければならない。後を継ぐものがなければ、家族はお寺を去らねばならない。なんとか次の代を…、自然と皆の期待は長男の私に集まっていた。

 その思いを感じ続けてか、私も中学、高校と進学する中で、いつの間にかその期待に応えようと思うようになっていた。だから、本棚にある佛教に関する簡単な本を読んだり、お坊さんの話を聞いたり、母が修行中勉強してきたノートなどを見ては説明を求めたりもした。

 しかしである。当時佛教の知識など全くなかった私には、その言葉に救いや安らぎを感じることはなかった。いや、嫌悪感すら抱いていたこともあった。

 ある僧侶は言う。「阿弥陀とは無量寿・無量光の意味である。無量寿とは、先祖より今に至る命の連続性のことである。その過程でだれか一人欠けても今の自分はない。その永遠に続く命の御親(みおや)こそ阿弥陀様なのだ。又、無量光とは、私達を取り巻くすべての環境(おかげさま)である。例えば、水や空気・太陽の光、どれ一つ欠けても私達は生きていけない。すべてが私達を生かそうとしておる。そのお陰さまこそ阿弥陀様に他ならない。そのお陰に感謝いたしましょう…」と。

 この手の説教は苦手だった。早くに父を亡くした子の一人として、この話には到底納得できず、憤りを覚えるとともに深く傷ついたものである。

 今元気な人はいい。何も問題なく毎日生活できている人はいい。お陰さまに生かしてもらっている人はいい。だけど、生かしてもらえなかった人はどうなんだ。命の御親の阿弥陀様は、生かす人と生かされない人を選ぶのか。佛教の救いは平等なはずなのに、一体どういうことなんだ、と高校生の時によく母に喰いついたものだった。母は黙って聞いてくれた。

 それから、大学に進学し、僧侶となる中で浄土三部経の教えに出会った。そこに本当の救いがあった。今まで聞いてきた人の言葉の多くは偽物だと知った。ある僧侶は言う「偶(たまた)ま宗義を論ずる者あれども、すべて自己流に曲解して新義に改造せり。甚だしきに至りては、社会改善生活向上を以て宗義の目的とする邪計者すら出(い)づ。此の如き枝葉の俗的問題は、世間教にて事足るべし。浄土教の如き出世無上の法を要とせず。」と。どうやら、昔からこの手の問題はよく起きていると知った。何とも残念であった。

 佛教ではこの世を娑婆(しゃば)と説く。耐え忍ばなければならない世界という意味である。我々は平等に苦しみ多き世界に身を置き、さまよい続けている、このお釈迦様の言葉が嬉しかった。佛教とは、この娑婆世界を抜け出るための教えなのである。

 現在、住職になり12年目を迎えている。今、人がこの娑婆を抜け出るためには念佛申して極楽へ行くよりほかはない、と伝え続けることが私の使命であり、私を育て導いてくれた人達への唯一の恩返しと受け止めている。思えば子供の頃、よく母に「南無阿弥陀佛と唱えたら、お父さんは極楽から喜んで見守ってくれるよ」と言われていた。今ではもっと多くの人が極楽から私を導いてくれているのであろう。これからもそちらに向かってまっすぐ進んでいきたい。念佛の声と共に、その思いを感じながら。

南無阿弥陀佛

2010年10月01日
鳥取教区浄土宗青年会 大善寺 米村昭寛