新潟県中越地震 被災地お見舞い 報告2
災害発生日 | 2004年10月29日 |
報告更新日 | 2004年11月03日 |
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■国道17号線(長岡市~小千谷市関)
国道17号線を南下し小千谷市に向かった。途中、高架をくぐり右後ろの高架上を見ると、ちょうど脱線している上越新幹線車両の屋根が見えた。遠くに最初の脱線が起こった東京方面からのトンネル出口が見え、「あの距離を200km/hで脱線しながら走ったのか」と思うとよく乗客が無事であったと思った。長岡市街に至るまでの約5kmほどが完全な直線であったのが幸いだったのだろう。
上越新幹線の高架のあたりから小千谷市方向の区間は一番道路の損傷が激しく、数mの間に数十cmのうねりができてしまったり、太い物で数cmになる多くのひび割れが道路を横断し、歩道のマンホールは地面の陥没により、まるで丸テーブルを置いたかのようにそこだけ浮き上がってしまっていた。また電柱は遠くからでも判るほど右に左に傾いて、かろうじて電線で支えられているようだった。道路損傷箇所では復旧作業が行われていたが、またまだ一車線のみを徐行しなければならず、慎重な運転が求められた。小千谷市街に近づくと道路陥没や交通集中のため1km程度の渋滞が起こった。市街ではニュースにも報道されたショッピングセンター「ジャスコ」の壁が一面ほぼ全て崩れ落ちていた。
■小千谷市平成 照専寺様(住職 川端和憲上人)
参道を通り境内に入るとその状況は目を疑うほどであった。まず、鐘楼がその土台よりはずれそのままの形で地上に転落しており、手前のお地蔵様もほこらを突き破って倒壊していた。築300年以上の大きな本堂は屋根こそ落ちていないが壁や扉・回廊など損傷が激しく、庫裡も二階のガラスはすべて無くなっていた。ご住職をはじめ副住職奥様方ご家族、照専寺様会館に避難している数家族の皆様はご無事なご様子であった。
和寛副住職の案内で扉の隙間から本堂内に入り様子を見せて頂いた。堂内は、左側の屋根が堂内に落下しており、例えるなら数十名の人間が押し入り全ての物を故意に投げつけてもここまでは酷くならないと思えるほど、悉く倒壊・散乱していた。
同じ境内内に宝珠庵様も有るが、現在は住んでいる人もおらず、ご本尊様も以前に照専寺様にお移ししたとのことで、とりあえず内部に立ち入っていないが、建物は崩れてはいないとのことだった。
手持ちの少量の物資をお渡しし、近隣も含めた今後の浄青から物資補給にご協力頂けるとの力強いお言葉を頂き、日没も迫ったためその場を辞した。