法然上人のご生涯とみ教え ④

浄土宗を開く

 命がけですべての人が救われる道を佛教に求められた法然上人。ある時一冊のお書物を手にされます。それは中国唐代に活躍された善導大師(613~681)の「観経疏(かんぎょうのしょ)」というお経の注釈書でした。その中に、「阿弥陀」という佛様がはるかな昔に「南無阿弥陀佛と我が名を称える者は、必ず救う」という誓い(本願)を立てられていることを見出されたのです。
 自分の力だけでは煩悩を消し去ることのできない凡夫でも、南無阿弥陀佛と称えれば、阿弥陀様の本願力によって必ず救われることを確信されたのです。承安5年(1175)春、法然上人43歳の時でありました。奇しくも父時国公が亡くなられた年齢と同じでした。

 法然上人のお伝記に、この時のご様子が記されています。

 「歓喜の余りに聞く人なかりしかども、予が如きの下機の行法は、阿弥陀佛の法蔵因位の昔かねて定め置きたるるをやと、高声に称えて感悦髄に徹り、落涙千行なりき」

 (歓喜の余り、誰に聞かせるともなく、「私のような何の取り柄もない者に相応しいみ教えと修行を、阿弥陀佛が法蔵菩薩という修行時代の昔からすでにご用意して下さっていたとは!」と思わず声に出して叫びました。その法悦は骨の髄まで沁みわたり、流れる涙は止まることを知りませんでした)

 比叡山黒谷青龍寺に参りますと、法然上人がご修行され、苦難を重ねられた当時を今も偲ぶことができます。筆舌に尽くし難い艱難辛苦の末に、すべての人が必ず救われるお念佛のみ教えと出会われた法然上人。

 以来、建暦2年(1212)正月25日に80歳でご往生されるまで、ご生涯をかけてお念佛を実践しながら、多くの人々にお伝えになられたのです。それから800年以上、脈々とそのみ教えは現在に伝わってきているのです。